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その基準はどこにある?【ただの日記】

春野達磨です。

改名しました。

というのはうそです。プロフィールアイコンを変えました~ヽ(^o^)丿描いてくれたのは私の相方のふぁーこです。なんか私のイメージは達磨らしいです。漢字で『達磨』ってゴツイね。

さて、カウンセラー業もとんと遠ざかっており、私はまぁ普通に派遣社員で働き始めたり、次男の行き渋りは続いているけれど、中学校にあがって、なんとびっくり吹奏楽部に入ったり、長男は塾の先生に「志望校を変えた方がいいと何度言おうと思ったか…」と言わしめるほど、本人にしてみたら基準が高い高校受験に成功し、毎日『震えるほど』楽しい高校生活を送っていたりする我が家です。

夫は相変わらずだけれど、あんなに怒り心頭だったのが不思議なほど、夫婦関係は良好です。

さて、最近ちょっと『基準』ってなんだろうと考えることがありまして。

次男は自分に課す『基準』が高いように思うのです。もともと特性持ちなので、できることにばらつきがあるので、いわゆる『普通』にできないことがある。

たとえば『時計が読めない』です。不思議なんだけど、あまり本人は困っていないので、これに関しては落ち込んでいるところは見たことがない。母は困っているが。(母がいない時は出る時間がわからないので、部活に行かなかったりする)

言ってしまえば『普通にできること』が出来ていないのだけれど、そこの基準はものすごく低い。できなくてもかまわないらしい。

例えば、人の名前が覚えられない。これも特に困っていないらしい。これの基準も低い。

だがしかし、時に「えっ?そこ?」っていうところで基準を爆上がりさせてくる。

先日の吹奏楽部のコンクールでレギュラー(なんていうのかわからないからこう言っておく)になれなかった。そりゃそうだろう、まだ楽器を始めて3か月だ。音楽に触れたこともないし、音符だって読めない。見ていても熱心に自主練をしている様子もない。それで突然選ばれたら、それこそ天才だろうと思う。

それでも、同じ1年生で出ている子が結構いるらしい。そりゃすごいね。

で、泣くのである。なんか知らんがなんか泣いている。で、何を泣いているのか聞くと「劣等感がすごい」という。「おれはできていない。できない」と。

そこの基準は高いのね。でもさ、特に努力もしていなくない??って辛辣なことを思っちゃうのよね。できるようになりたきゃ、練習しなさいよと。

ちょっとアドバイスする。そこは基準さげたら?と。3か月でここまで吹けるようになった自分はすごいとかさ。(因みに楽器はクラリネット。本人はフルートを希望していたが、希望者多数のためクラリネットに)

事実、クラリネットは音と出すもの結構難しいらしいけれど、次男は一発で音が出た上に、他の子たちに比べるとダントツに音がきれいだったらしい。(先生曰く)

こういう他者評価は完全に無視するんだよね。

良くも悪くも、自分の評価基準が絶対で、他者がどんなにほめようとあまり関係ないらしい。

難儀な基準だね。

まぁがんばってほしい。

私は音楽のセンスはあまりないので、一定以上上手だとみんな上手ってなってしまうので、次男がクラリネットを奏でているだけで「お~うまいね~」ってなっちゃうけどね。

高い理想を掲げることは向上心とか満足度とか達成感を考えるといいことだと思う。でも要はバランスでが大切。そればかりにとらわれて、それこそ劣等感を感じたり、やる気が損なわれたり、他者比較に陥ったりするのであれば、それはそれで別枠にしてみるといいと思う。

自分を愛でる。自分をほめる。こそっと寝る前にやってみたらいいんだけどね。

なんだかんだと言いたくなるけれど、それもあまりよくないかな~と思ってただ一言だけ言っておいた。

「次男がどうであれ、かかは次男が大好きだし、生まれてきてくれてめちゃんこうれしいよ」

まぁご機嫌に生きたらいいと思うよ。

 

 

 

 

 

 

と、ここまで『楽器が出来ないこと』の劣等感みたいに語ってきたが、次男と話して深堀すると、そこでもなかったりして、人間心理とは本当に複雑なものだと感心したことをここに記しておく(笑)

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