「春野は自信家だね」と若い頃に何度も言われた。それを私はネガティブな意味にとらえていた。「偉そうだね」と言う意味で。
まぁそういう意味で言った人もいたかもしれないけれど。
自信があることを「自信がある」という言葉と態度で示して「ほら、だから褒めなさいよ」とか「すごいって思ってね」とかいうってことは…それ、自信がない表れだよね。
誰かに認められないと、自分じゃ認められないから「外に認めてもらうことを強要している」ってことになる。
だけど、自信って実は誰にでもすでにあって、誰かに認められなくてもそれはもう体の一部になっている。だけどそれを気づいていない、もしくは誰かに認めてもらわないと本当にならないと思っている。そのどっちか。
だからね、「自信がある」という状態は、元々自分の中にあるものを、誰かに「それすごいね」と言われてしっかりと受け取って、腑に落としたところでその自信が「自分のものになった」ってこと。
だから、「自信がない」という状態は別に悪いことじゃない。だけど、その『自信』を本当のものにするためには、まず『自分に気づくこと」からダゾ。
そんなもん自信がなきゃできないよ
例えばだけど、私は英語が喋れる。でも自信はない。私くらいの英語はだれだって喋れるし、通訳とかもできないし、英語を使って仕事をするなんてできない。
だから、自信がない。
こういうことを言うと「えええ~?英語ぺらぺらじゃん。自信持ちなよ」と言われる。
そう言われればまぁTOEICも800点越えたことがあるから(むかーしのこと)、もしかしたら一般的には英語ができる人というカテゴリーに入るかもしれないけれど、でもやっぱり今は日常会話くらいしかできないし…。
という訳の分からない「自信を持っちゃいけない証拠」ばかり探すことになる。要は自信を持ちたくないし、自信を持っちゃいけないとすら思っている。
英語の例は身近じゃないとすれば、例えば料理はどうだろう?
私は料理が下手で、作るのが好きでもないし、何かを追求することもない。凝った料理も作れないし、名のある料理もできない。
だから料理に自信はない。
だけど驚いたことに毎日料理を作っている!!
毎日だよ??これすごいよね??夕方になって冷蔵庫の中覗いて「ああ、これあるか。じゃ○○作るか…はぁ…」ってため息ついているけれども!!それでもパパっと作るんだよ。マジでパパっと。(料理好きじゃないからね、時間なんてかけない)
要は「自信がある」って言えるということは、かなりレベルの高いことを自分に求めているってことになる。
英語だったら、国際会議の同時通訳くらいできないと…とか
料理だったら、誰が食べても美味しく、盛り付けも凝って、5品以上作る…とか
そういうレベルじゃないと「自信がある」って言えない状態。
だけどさ、道で困っている英語圏の人がいれば話しかけるし、
なんてったって、毎日料理している!!
自信がないわけがない。自分はできるって信じているからやってんだよね?
私たちは「できないこと」に目を向けがちだけど、そんなもん白い画用紙に打たれたちっちゃい黒い点でしかない。確かに目立つよ?黒い点。だけど、どんだけ白い部分が広いかってことに気づく方がいいと思う。
経験を積めば積むほど自信は蓄積されていく。それは心で感じていることは間違いない。だけどね、問題は頭。頭は理想が高く、ダメ出しが大好き。そして見ていないこと多すぎ。
だから『頭は嘘をつく』。「あんたはできないよ」とか、「それじゃだめだよ」とか。
だけど『心は叫んでる』。もうずっと前から。私を認めて~許して~ってね。
誰に認められたいの?許されたいの?
頭の嘘にだまされて、どうしても自分を認められなくて、許せないから、でもそれじゃいやだ~、他に、誰かに認めてもらおうとする。
もちろん私もそう。誰かに褒められれば、認められればそれで「自分はこれでいいんだ」と思える。
それは悪くない。そうやって自己承認できればそれでいい。
でもさ、それって自分じゃどうにもならなくない?ずっと、なにかあれば誰かに承認を求める。これでいい?ここにいていい?ってずっと、ずっとそうやって外に求め続ける。
そう思うようになったのはいつの頃からだろうね?誰に認められたいんだろうね?
お父さん?
お母さん?
先生?
誰から認められたらそれは解消されるんだろう?下手したらその「認められたい相手」はもういなかったりするかも?そうするとその代替品を探し続けているのかも?
そうやって認められたとしても、それを受け取らないってこともよくある。「いや、そういうけど、でもやっぱりダメだよね」とか「きっとお世辞だ」とかね。
どうしようもなくない?(笑)
そんだったらさ、本当に許されたい人から許してもらおう。認めてほしい人から認めてもらおう。
そうやってここまで生きてきたんだから
今まで生きてきて、「乗り越えてきた問題」って結構あると思う。
言われてみれば…と思い当たる節あるでしょ?
そういう経験があなたを形作っている。間違いなく。そうやって生きてきたんだから。それは紛れもなく自信になっている。
だけど、そこを見ない。嘘つきの頭に騙されてる。
そういう乗り越えて来た問題たちが足元を照らしてくれている。そうやって進んでいる。
だから…あなたはすごいんです!!そうやって生きてきたことをまず褒めよう。認めてほしい誰かから言葉をもらわなくても、そんなの大したことじゃない。
どう考えても頑張って生きて来たあなたを認めるのも、頑張り切れなかったと責める自分を許すのも自分だから。
乗り越えて来た問題を書き出してみよう。
大きくても、小さくてもかまわない。
「運動会のかけっこで転んだけど、立ち上がって最後まで走った」とか
「クラスの女子から全無視されたけど、学校は行っていた」とか
「一生懸命ピアノを練習したけど、一回も褒められなかったのにもかかわらず練習はした」とか
その乗り越えて来た問題でついた自信はなんだろう? 何を得られたんだろう?
ああ、私は問題を乗り越える力があって、それが間違いなく自信につながっている。と思ってみてね。
問題はあとからあとからやって来る。中には明らかに自分で作り出したものもある。そんな石につまずいたり、派手に転んだり、大きな壁にぶち当たって血を流したり、どっか腫れたりしたけれど、まぁそれが生きているって証拠なんだよね。
問題はないに越したことはないけれど、問題を超えるからこそ自信になる。そんな自信があなたを作っている。
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