2年前の自分を思い出して、よくぞここまで思考を変えてきたと感心する。そしてあともう一息なんだな。2020年3月31日、15年勤めてきた大好きな会社と仕事を辞める。今こう書いただけでも涙が出てくる。
涙が出てくる理由は会社に対する想いなのか、ライフイベントが詰み込まれた15年への感謝の想いなのかはわからないけど、とにかく何かの感情が盛り上がってくるのは間違いない。
小1の壁と夫と頼れない自分と
上の子が小1に上がる時期になって、時間の問題が出てきた。私は7時に家を出ないと会社に間に合わない。そして校門が開くのが7:45。この45分間をどうするか…
まずは夫にお伺いを立てる。
「朝、上の子みてく…」
「無理!できない」
はい!お話は終了~。かぶせ気味に来やがった。
そして上の子に事情を話してどうするか訊いてみる。
「オレ、一人で鍵かけて学校行ってみる!」と言ってくれた。
っていうか、言わせたよね。
そして無事に1か月が過ぎた頃、それは起きた。突然朝上の子が
「朝、ひとりになるのは嫌だ」とポロポロと涙を流した。
これは困った。
それからしばらく会社に遅刻する日が続いて、私も参ってきた。
そして仕事を辞めずにこの問題を解決しようとはりきった。
今までどうにもならなかったことなんてなかったじゃないか!と。
同時に沸き起こる罪悪感
仕事は絶対辞めたくなかった。舅の自宅介護が始まった時も仕事を辞めるという選択肢は全くなかったし、子どもが生まれた時ももちろんなかった。
上の子は8か月で、下の子は6か月で保育所に預けた。
罪悪感がなかったと言ったらそれは嘘になる。母子別離が早いと、のちのち問題があるのでは?と不安にもなったし、3歳児神話も信じないわけでもなかった。
会社で一言嫌味を言われるのが怖くて、熱があるのに無理をさせようとしたこともあったし、「なんで熱ばっかり出すのよ!」と0歳児に怒ってしまったこともある。
完全に私の他人軸のとばっちりをうけたのは子どもたちだ。
自分をダメな母親だと思ったことは一度もなかったが、罪悪感は蓄積していったことは間違いない。
そんな蓄積されていった罪悪感が爆発した小1の壁だったのだ。
会社の人間関係が狂った
同じ時期にもう一つ事件が起きた。
人間関係になんの問題もないと思っていた10歳年上の女性社員から突然呼び出され、苦言を呈されたのである。
要約すると
① 経理部長が今の勤務状態(休み、遅刻早退が多い)が続くようなら退職か契約社員のような雇用形態にせざると得ないと言っている
② 他の社員からも文句が出ていてもう爆発寸前で大変。あなたのいない時は皆ずっとあなたの悪口を言っている。
③ もっと子どものことを考えてあげるべき
④ 決めるのは春野さんです!
ということだった。
そして私の心は折れた。そして退職願い提出した。
自分を責めてみたり、誰かのせいにしたりという毎日が続いた。
因みに夫に相談(?)したら、あまり興味がなさそうに「えっ?いいんじゃない?収入は下げないでね」という一言だけもらった。
もう一つ因みに経理部長が言った云々は嘘だったことがのちにわかった。
何かが違うと感じていた
2年前のあの時の退職理由は、子どもの問題と、その女性社員との人間関係だった。
私は大好きだった仕事を『子ども』と『人間関係』のせいで辞めざるを得ないと思いたかったのだ。
私は仕事を辞めたいなんて思っていないと。しょうがないのだと。どうすることもできないのだと。
でも…ありがたいことに会社の上層部には何度も呼ばれ引き留められた。何度も泣いて話をした。
心のどこかで「今辞めるのは違うんじゃないの?」という声が聞こえていた。
今辞めて、子どもに、その女性同僚になんていうの?と
恨みつらみばかりが渦巻いている心の中
確かに「最後にガツンとあの女に言ってやりたい」「さてなんて言ってやろうか」とばかり考える毎日だった。
今この感情のまま退職したら、いつかきっと子どもに「あの時あなたが毎朝泣くから、私は仕事を辞めたんだ」と言ってしまう日が来るのではないかと思っていた。
そしてついでと言ってはなんだが、協力してくれなかった夫にも「あの時あなたが協力してくれればこんなことにはならなかった」と言うだろうとも思った。
結論として「まだその時ではない」だった。
恨みつらみが渦巻いていて、その感情のまま行動を起こして、いいことなんてなにもないだろう。
そしてありがたいことに、会社は特例を作ってくれて、特別に時短勤務が認められた。これで子どもの問題は解決されたのである。
そして時短勤務が始まると同時に、心の整理整頓が始まった。
『選ばされた』ではなく『自分で選んだ未来』を手に入れるために
心理学や自己啓発の本を読んだり、ネットで『会社の人間関係』「子育て」について調べたりしてだんだんわかってきた。
あの時、子どもが突然泣き始めたのも、仲の良かった同僚が退職をうながすような言動をしてきたのも、私がそうさせていたのだと。
良くも悪くも私の人生は私が主役。すべてが私のステージ。台本も舞台装置も舞台照明も、わき役のセリフでさえ、私がすべて決めているのだ。
そして、人生の第何幕の何場がは知らないけれど、あの2年前の騒動は私の人生における『ドキドキシーン』だったというだけだ。
次のシーンは『自分で選んだ未来』を気持ちよく進むために今私がどうするかを決めるシーンになる。
キーワードは『感謝』だ。
この二年間は発見の毎日だった
子どもにイライラして怒鳴り散らすことがほとんどなくなった。
あの女性同僚があの時呼び出してくれたことを、感謝することができるようになった。
あと残るは夫に対してだな…それはまた別のお話。
かつでは最後の退職の挨拶を妄想し『あの女をぎゃふんといわせる』スピーチを考えて、ますます自分自身をイラつかせていたが、今はもうそんな妄想をすることもなく、本当に素直に「ありがとうございました」と言えると確信が持てている。
そして、退職の理由は『子どものため』でも『人間関係のせい』でもなく、ただただ私自身が『疲れちゃっただけ』だと認識し、ずっと走り続けていた自分を無理に歩かせてみることにした。
歩いてみたら意外に焦りはなかった。
自分のために時間を使ってみた。
意外に子どもたちは平気だった。
自分のためにお金使ってみた。
意外に罪悪感はなかった。
そして、泣きそうになったが、社長に「やっぱり来年の3月末で退職します」と落ち着いた気持ちで言えた。
そして2年前のように強固な引き留めはなく、「とても残念ですが、わかりました。いつかまた一緒に仕事ができることを願っています」とだけ返ってきた。
ああ、そういうことなんだとわかった気がした。
やっぱり2年前はまたその時ではなかったのだ。そしていよいよその時が来たのだと。
2020年3月31日 大好きだった仕事を100%の感謝とともに辞めることになった。
そういうことだ。でもやっぱり今も泣いている。これはなんの涙なのだろう?