心理カウンセラーを目指している最中。
『カウンセラーはこういうものである』という呪縛から逃れられないでいる。自分がしてもらってうれしかったこと、してもらいたいことを、人にもしてあげたいと思う。
自分が悩んでいた時、行き詰っていた時に言葉をもらってスッキリしたり、方向転換できたりした今までの経験から「そうだ!そういうカウンセラーになろう」と思った。
結果、惨敗…。
自分が思っていた以上に人の悩みは深く、痛みは強く、傷は大きく、ただちょっと水で流して絆創膏を貼ったくらいじゃ、悩みは解決されないし、痛みは痛いままだし、傷は癒えない。それが重々わかったお弟子さん制度の2か月間だった。
そもそも『カウンセラーとは○○である』の観念から解放する方が先決だな。『こうなりたい』という『理想』のカウンセラーを目指す前に。
自分自身をジャッジするということ
十代後半の頃だったと思う。その頃私の中で「私はこういう人だから」という文言が流行っていた。
なんでそんなことをことあるごとに言っていたのかよくわからないが、自分自身をジャッジしてなにかを諦めようとしていたのか、人になにか言われることを拒否していたのか…?その頃の自分に戻ってもやっぱり思い出せないのだが、ある時ある人に強い口調でこう言われた。
と。
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見たことはないが、おそらくそう表現していい顔をしていたと思う。自分自身をジャッジした時点で成長は止まる。「私はこういう人だから」と思った時点で「私はもう成長も進化もしません」と宣言したようなものだ。
十代後半の私がそう思っていたかはわからないが、強い口調で言ったあの青年がこの言葉に大きく反応してしまったのにはきっと理由があったんだろうな。
セッションして気づいたこと
それでもどうしても『なりたい自分』を目指す。自分に嘘をついてでも。嘘もつき続ければ真実になる…とは思わないけれど、ちょっと思いたい自分もいる。
ズバッとお悩みを解決できるカウンセラー!どんどんお悩みをぶつけて!!一刀両断するよ!
というキャッチコピーでやっていく自信がほしい。でもそんなことできないこともわかっている。だってそんなことできるようなりっぱな人間でもないし…
んっ?立派な人間しかカウンセリングしちゃいけないの?
お弟子さん制度の弟子同士でのカウンセリングセッション。これが気づきしかない。
カウンセラー役をやっているときに突然スイッチが入った自分に気がついた。
カウンセリングの時間が終わり雑談中にそれは起こった。クライアント役のSちゃんの子育てに関するちょっとした話がそのスイッチだった。
一番近い自分の経験。そして続行中の悩みとかぶる話。経験上「それはこう考えた方が自分は楽になったよ」という経験談。
思いっきり提案/アドバイスする自分に笑う…。提案できることもあるんだな。それは知識からではなく経験から…。
ただ、自分の経験が他の人全員に当てはまるわけではないから押しつけにならないように気をつけた。あとで聞いたら「押しつけがましい感じはしなかった」と。
そういうものなんだな。
自分にも提案ができることがあった。今悩みながら間違いながらもなんとか歩いているこの経験。それは子育てだけじゃない。今まで歩んできた自分の経験。それから抽出して言えることもある。
カウンセラーは専門的な知識を駆使してクライアントを救うものである。
という観念、思い込みを外せるいいきっかけになった。
まとめ
理想を掲げるのは悪いことじゃないと思う。ただそれに縛られちゃいけない。そうあったらいいな程度にとどめておく方がいい。
如何に自分を信頼できるかにかかっている。でも私は自分を信用しないことにしている。
信用せずに信頼する。
この先きっと、迷ったり間違ったりすることはあるだろう。それはもちろんそうだ。だからそこ今までの経験やこれから増やしていく知識を絶対的に信用することはしない。常に疑ったり確認したりするだろう。でも自分自身が積み重ねてきたものは本物だ。
自分にもできることがある。自分らしいカウンセラーになればいいじゃないか。
自分を信頼して。
と、まぁなんかかっこよくまとめようとしてみました。
以上で~す。