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夜はなんで怖いんだろう?と夜な夜な考える長男に向けて自分に向けて

いつも陽気で面白い長男は夜になると怖くなってしまう。途端にネガティブになり「かかは弟の方が好きなんだ…」とか、「オレはどうせダメなんだ」と言い続ける。

先日「なんで夜は怖いんだろう?」と禅問答のようなことを言い出した。確かに彼の中に『夜は怖い』という思いがあるから夜になると怖いことばかり頭に思い浮かんでしまうのだろう。

なんで夜は怖いんだろう?

人は生まれて死んでいくんだけど、実はそれは毎日繰り返していて、夜になると一回死んで、また朝になると生まれるんだよ。だからちょっと怖いんだろうね。
全然意味わかんない。
だよね

という会話が繰り広げられた。

それにしても長男は暗闇を怖がる。トイレにも必ず弟を連れていく。たぶん子どもあるあるなのかもしれないけれど、長男は普段陽気なのに、寝る前にネガティブになり、時々しくしく泣きだすこともあって、なぜだろう?と考えることが多い。

それは幼少期の経験にあるのではないかと思っている。記憶にないところで埋め込まれてしまった潜在意識のような。

夫婦喧嘩が多かったんじゃないの?

その話を知り合いの助産師さんに面白い話として「長男はトイレに弟を誘っていくんですよ。たまに、早く来い!!って命令したり~」と言ったら、一緒に笑ってくれたが、衝撃的なことを言われて固まった。

「長男くんがお腹の中にいた時に夫婦喧嘩が絶えなかったってことない? まあお宅は夫婦仲いいからそんなことはないわね。でもよくあるのよ~」

・・・・・・。

返事に詰まった。夫婦仲は悪くない。だけど同居の舅の介護をめぐって言い争いをしていたと思う。長男が生まれてからも、夫と舅は大げんかを繰り返していたし、それに対して私も大きな声で言い返したりしていた。私はよく物を投げて壊していたし。

それはずっと聞いていた長男。なるべく目の前で喧嘩は見せないようにはしていたけれど、それでも『ケンカをしていた事実』はそこにある。

身内の死を2回体験している

舅、つまり長男からみたおじいちゃんは自宅で突然に亡くなった。大動脈破裂だった。完全車椅子だったから車椅子に座ったまま、眠るように…。

私たち夫婦は大きな声を出し、救急車を呼び、救急隊員が救命処置をし、心臓を無理やりに動かし、慌ただしく救急車に舅を乗せて、サイレンを鳴らして去って行った。夫が一緒に乗って行った。

その間、長男は祖父がいる方向に背を向け、一心不乱に塗り絵をしていた。絶対に振り向かず、だけど背中に神経を集中させているのがよくわかった。

5歳の時だ。

サイレンが去った後、私が方々に必死に電話をかけている時もずっと床に座って塗り絵をし続けていた。

私たちはしばらくお互いに話しかけることはなかった。まだ2歳の次男だけわかっているのかいないのかちょこちょこ動き回っていた。

夫から病院が決まったと連絡が入り、長男に「じさまの病院に行こう」と言ったら、すっくと立ちあがって歩き始めた。

もうあと数分で呼吸が止まりますという時に、私たちはじさまと対面した。長男も次男もなにも言わなかった。そして呼吸が止まった。

長男はこういった。

じさまはエスカレーターで天国に行くのかな?歩けないからね

と。

死を目の前にしてもそれは傷にはならないと思う。たぶん。

冒頭の「なんで夜は怖いんだろう?」という会話の最期に長男はこう言った。

じさまも、じいじも、死ななきゃよかったのに

ってね。そうだね。君は二人のおじいちゃんの死に対面している。舅も私の父も自宅で亡くなってその場に君はいた。その年齢で2回、死を目の前にしているんだよね。

でもこれは心の傷にはならないよね。

それよりも心に痛みを残すのは、自分の大好きな人たちがいさかいを起こしていることだろうな。

成長とは家を建てるようなもの

舅が亡くなって、夫婦喧嘩は減ったもののそれでもやっぱりたまにやってしまう。よくないなと思いつつ感情にまかせて。

児童精神科医の佐々木正美先生の『子どもへのまなざし』という本は”乳幼児期は人格の基礎をつくるとき”という項から始まる。

人間の基礎をつくる、家で言うところの土台をつくる時期が乳幼児期だというお話。そこがしっかりしていればそうそう崩れない。徐々に柱を立て、壁を作り、内装を整え、インテリアや家具を整えるというイメージ。

ソファをかえようとか、カーテンをかえようとかは簡単にできるけど、直そう、建て直そうと思った時にやはり土台を作り直すのに一番時間がかかる。そしてその部分に傷があることは外からは見えない。だから気がつかない。

だから乳幼児期の育ちは大切。

というお話。

耳が痛い。激痛に近い。佐々木先生の口調はやわらかでやさしいのだがもう心臓がぎゅっとなるくらい刺さってくる。

乳幼児期が基礎工事のときで、その後の時期を、たとえていいますと小学校、中学校、高等学校、大学、あるいは大学院、留学などというのは、あとから造っていく建築の部分です。
(中略)
そうすると、みなさん、あとからやるものほど、やり直しがきくということがおわかりになるでしょう。

子どもへのまなざし 佐々木正美著より抜粋

ちゃんと長男の基礎は、土台はしっかりと建っているのかとても不安。でもそれを覗くことはできないんだよね…。

結局は自分自身

長男は今小学3年生。そろそろギャングエイジに突入する。健全に育っていれば親より友だちとの関係性に重きを置き始めるころだ。もう既に始まっているのがよくわかる。

乳幼児期に夫婦喧嘩や、自分の父親が自分の祖父にきつく当たったり、時に手が出ているのを見て育ち、そして近しい人の死を目の前で見た長男。それが基礎に土台にどれだけの亀裂を入れてしまったのかはわからない。

でも、その亀裂を埋める方法はこの先に必ずあることを信じたい。それは誰かの言葉だったり、出会いだったり、自分自身の気づきだったりするんだろうな。

最高の幼少期を与えられなかったような気がするけど、これから先の人生でどうにでもなるし、どうにかできるのは自分自身だよと、対等の関係で、ちょっと長く生きている人として伝えていきたい。

夜は怖いけど、朝が来るんだよってね。

長男よ、君は絶対モテ男になるよ。今でもモテてるけどね。私に。

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