夫婦関係

モラハラをする人される人 みんな弱い自分を受け入れられないから

なんでこの人モラハラするんだろう?って不思議に思ったことないですか?純粋に不思議に思いませんか?なにが楽しいんだろうって?

別にあの人たちは楽しくないはず。あんなに怒って血管切れそうになって「あ~気分いい~ストレス発散~」って思える人だったら、そんなことしない。

カウンセリングをしていて参考までにお話すると「なんですかそれ?そんなこと思ったこともないです」と言われるモラハラ人の心理…『罪悪感と無価値観の塊』説。これを知ったからといってモラハラやいじめがなくなるわけじゃないんだけど、知ってて損はないのかな?と思いちょっと書いてみようかと…。

彼らは弱い自分を受け入れられずに、隠そうとしている。抑圧している。本当は「助けてくれ」と言いたい。でも言えない。だからその抑圧されているストレスを、甘えられる相手に爆発させているってこと。

なぜか「そんな理由で?」とか「なんで今?」とか「またか…」というまぁいろんなタイミングでスイッチの入るモラハラ展開。心臓がギュウってなる感覚は本当に慣れない。怒鳴られなくても、チクリというのもグウっとなる。

「私が悪いのかな?」と思ったり、「私は悪くない」と思ったり、あちらの言動に反応してこう思うのも無理はないんだけれども、そもそもあちらの怒りや痛みやなんやらかんやらを、こちらが受け止めることはしなくてよくて、むしろそれをこちらに背負わせようというあちらの欲望に、境界線を破らせて不法侵入されないように、ビシッと線を引こう。

そして「夫は夫、私は私」と自分軸を取り戻すことで、次のステップ「私は本当はどうしたいのか?」を考えるきっかけになる。

モラハラする人の心理が不思議に思うのであれば、怒りの感情の下にはなにがあるのかを、ちょっと覗いてみるのもいいかもしれない。あくまで興味があればの話だが。

弱くあるのはダメなんです(←思い込み)

多くの人が「弱くあってはならない。強くなければ」と思っている。それは程度の差こそあれ、幼少期から刷り込まれたイメージだ。でもそもそも強さってなんだ?弱さってなんだ?っていう話だ。

転んでも泣かなったら「よしえらいぞ!」
ちょっと嫌なことがあって泣いたら「そんなことで泣くな」
弱気なことを言ったりしたら「だからお前はダメなんだ」

あたり前に繰り広げられるこの話。別に普通だ。でもこれがあまりにも多かったり、口調が強かったり、もともとの気質もあるだろう、そんなことが積み重なっていくと「弱音なんて吐いてはいけない。弱くあってはならない。そんなことをしたら誰からも認められないし、褒められないし、愛されない」と抑圧していく。

でもね、誰でも『弱い部分』っていうのはある。それを今までの経験から「見てはいけない。表に出してはいけない、そうしなくては愛されない」と脳が認識してしまうために、どんどんストレスをためていく。

育ってきた環境や経験がそうやって、自己肯定感を低くしたり、罪悪感を募らせたり、無価値観が出て来たり、いろいろする。総称して『ダメな自分』を抑圧する。

それを吐き出す相手はだれだ? 自分が甘えられる相手、つまり「攻撃してもいい相手」に暴言を吐く。

弱い自分を認められない自分を強いと見せかけるための行動なんだろうね。

オレは弱くない。オレは悪くない。オレは強い。オレは正義なんだ…と。

弱い自分を隠したいからどうするか

そうやって『弱い自分』を認められないので、吠える。「助けてほしい」と言いたいのにそれを言ったら終わるので、言えない。そしてまた吠える。そしてなにが募っていくかというと…罪悪感。

もちろん、無意識の領域で怒っているので「オレは弱いのを隠すために怒っているのだ」なんて思っている人はいないだろう。

全て「オレは悪くない」と証明するために怒っているのに、相手は言い返して来たり、謝ってきたりする。すると「オレが悪いっていうのか!!」とまた吠える。

こういうことをすると、信じられないかもしれないけれど、その人には「罪悪感」が溜まっていく。その罪悪感が次に取らせる行動は…。その罪悪感を隠すために「オレは悪くない」とまた吠える。

 おれが悪いとか相手が悪いとかいう問題ではなくて、お互いがお互いを自分で癒していかないと、どうしようもないし、相手の罪悪感や痛みを受け取ってしまうと、それは依存やら癒着やらの関係になっていく。

弱い自分を認めて、それでもオレはいいのだと本人が思わないとどうしようもない。夫婦であっても他人がどうこうすることはできない。

相手がそうだったとしてもあまり関係がない

きっとモラハラする人は、過去に色々あったんだろう。大変なこともあったんだろう。色々思うところもあって、ああなっちゃったんだろう。でもそれってあなたに関係あることじゃない。

冷たいように聞こえるかもしれないけれど、所詮夫婦は他人だ。こちらの領域に入って来られては困る。夫婦とか親子とかも関係ないね。だれだってこちらの領域に入って来られては困るし、入ってきたうえに自分の荷物を背負わせようと、グイグイ来られても困る。

それを受け取って、一緒に背負ってあげようとするあなたはきっと愛の人だ。素直じゃないけれど「助けてほしい」と言ってくる人を「助けてあげたい」を思うのかもしれない。

暴言を吐くのは、まあ、いろんな心理的要因があるのだとは思うけれど、「助けてほしい」のサインだったり「かまってほしい」のサインだったり、「こんなオレでも愛せるのか?」のメッセージだったりするのだろうけれど、それに全部答えることはできるのか?って話だ。

疲れたら…もういいんです。背負わされた荷物を下ろして、押しつけられた痛みも傷も全部手放して、逃げましょう。休みましょう。

自分軸と自己肯定感

きっとね、あなたは「攻撃されやすい人」なのかもしれない。あの人たちに受け入れてくれそうな人だと思われたのでしょう。それは決して悪いことではない。むしろ「受け入れられる」器がある。それは絶対的に才能。

その才能を充分に発揮できる場所に移動しましょう。

持って生まれた才能を生かすにはそれなりの場所も必要だし、その才能を持っている自分を見つける、自分で認めることもとても重要。

いつも着地点はここになっちゃうけれど、『自己受容』と『自己肯定感』これに尽きる。

そして、あなたの才能が生かせるライフワークを見つけることができたら、最高だね。

あなたも自分の「弱い自分」に「弱くていいんだよ」と声をかけてみてね。「弱さを認めることが、強さの秘訣」なんだから。

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