夫婦関係

「孤独を知っているから孤独じゃない」ということをお知らせします。

なんとなく『孤独』を感じて生きている人って結構いると思う。

「居場所がない」とか「帰る場所がない気がする」とか「とにかく寂しい」「誰もかまってくれない」とかね。

心理学的に言うと、たぶん「子どもの頃の経験がそうさせている」とか「孤独であるということが『あたり前である』と思い込んでしまっている」とかいうのかな。

だから、「インナーチャイルドを癒しましょう」とか「自己肯定感をあげましょう」とかいうんだと思う。

それをどうやるのかを横で並走するのがカウンセリング。あくまでも自分の足で前に進むんだけれど、やっぱり応援があったり、道案内があった方が安心するか、らぜひカウンセリングってものに興味をもってもらいたいと切に思っている。

でも、今日は「どうやって孤独を癒していい方向へ持って行くか」というお話ではなく、「孤独を知っているから孤独じゃない」というお話をしたいと思う。

『のらねこ』というお話

小学3年生の長男の教科書に載っていた『のらねこ』というお話がとても興味深かった。

「音読するから聞いてくれ」と言って長男が読み始めた『のらねこ』という話を全文載せたいが、それは長すぎるので簡単にあらすじを…

リョウという子の家の庭にのらねこがやって来た。リョウはそのねこをかわいがりたいと思い近づこうとするが、ねこは警戒心を露わにして言う。

「それ以上近づくとひっかくぞ」とか「ほうきを隠しているんだろう」とか「ポケットにゴムパチンコの玉を隠しているだろう」と言って近づかせない。

その度にリョウは「そんなことはしない。かわいがりたいだけだ」という。

そして自分の飼い猫のために持っていた猫缶を見せる。

それに反応したのらねこは「それを一口くれたらかわいがらせてやってもいい」という。リョウは自分の飼い猫のためのものなので少々渋るが結局あげることにする。

のらねこは言う「そこの草の上におけ」と。
リョウは言う「ぼくの手のひらから食べるんじゃないの?」と。

「そんな危ないことはできない」と言って草の上に餌をおかせて食べる。

「よし、リョウがいい子だということはわかった。かわいがらせてやる」というが、リョウが近づこうとすると「近づくな!!」と怒る。

リョウが言う「ねえ。きみ、もしかして、かわいがられるって、どういうことか 知らないんじゃない」

のらねこ「知ってるわけないだろう。どこでも売っていないし」

リョウ「きみ、母さんは」

のらねこ「母さんなんて…」

リョウ「ああ、やっぱりそうだったのか。かわいがるっていうのは、そばまで行って、相手にさわってあげたり、だいてあげたり、なでてあげたりすることなんだよ」

のらねこ「へえ、そんなことするのか。で、そんなこと、なぜするのか」

リョウ「ああ、それも知らないのか。かわいがってもらうと、とても気持ちがいいし、うれしくなるんだよ」

のらねこ「へえ。そんなものか。ちょっと、よくわからないが、じゃあ、やってみてくれるか」

リョウ「いいとも」

(リョウはのらねこまであと50cmのところまで接近)

のらねこ「よせ。それいじょう近づくな。こわい。それいじょう近づかれると、にげ出すか、とびかかるかしかない」

リョウ「じゃあいい。そこから、前足だけのばして。 ぼくも前足だけのばす」

のらねこ「こうか」

(・・・一人と一ぴきはそこにねたまま、前足をのばしあい、のらねこの前足を上からそっとさわる・・・)

リョウ「こわくない。こわくない」

のらねこ「あ」

のらねこは、突然声を出し走り去る。庭の一方からはリョウの家のねこが帰ってきた。のらねこは、リョウとリョウの家のねこが庭で遊ぶ姿を、屋根から見ている…

”のらねこ” 三木 卓作品

とにかくこの話は驚いて何度も読んでしまった。小学3年生の教科書は侮れない。結構教科書に載っている話は「これは…」と思うものが多い。

さて、のらねこは『かわいがられる』ことを今まで一度も経験したことがない。そして今回リョウという少年によって『かわいがられる』=愛されるということがあるこということを知る。

最後のシーンの『屋根の上から、リョウとその飼い猫を見ているのらねこの絵』がすべてを物語っているような気さえした。

のらねこの今後が心配

のらねこは今までとにかく苦労して生きてきたんだと思う。人間=いじめるものという図式が出来上がっている。それはリョウに対する警戒心でよくわかる。

それでもちょっと「気を許してやってもいいかな」と思っていることもよくわかる。

人間に対して警戒心を持ち、りっぱな体を持ち、ひとりでたくましく生きている。それはそれでいいのだと思う。

でも、のらねこは知ってしまった。『かわいがられる』と言うことを。世の中には『かわいがられているねこ』がいるということを。

『かわいがられる』ということは「とても気持ちがいいし、うれしくなる」ことだということを。

ここで私は思ってしまった。「それ、知らなくてもよかったんじゃないの?」ってね。最後のシーンはのらねこが『かわいがられる』ことを知ったせいで『孤独』も知ってしまったのではないか?と思った。

それはいいことか?あまりよくないことか?

もしあなたが…

孤独を知っているということは、今までに、生きて来た時点のどこかで「愛された」という経験があるこということだと思う。

もしくは「愛されるということはどういうことか」ということを知っているからこそ『孤独』を感じるんだと思う。

いつかの時点で「愛されているということは幻だった」と自分に思い込ませてしまったのだろう。なにか辛い経験があったのだろうね。

そう思い込まなければならない事情があったんだと思う。そうするしかなかったんだよね。

『孤独を感じる』『居場所がない』『とにかく寂しい』

そう思い始めたその最初に戻ってみてはどうだろう?

きっとね、あまりに辛かったから、そのちょっと脇にある愛がまぶしすぎたから、自分で目をふさいだんだと思う。

それは悪いことじゃない。そうするしかなかったんだから。

でも、そろそろ目と耳をふさいだその手を離してもいい時が来たんじゃないのかな?
あなたの心の奥底で眠っている、あなたが葬ってしまったあなた自身を助けに行ってみませんか?

「私は孤独です」とその声を上げて、そしてその手を挙げてみてほしい。

気づいてくれる人は必ずいるから。愛を与えたい人は沢山いる。その愛を受け取る準備をして待っていてください。

カウンセリングってね、そういうためにあるんですよ。

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