今日も次男は『ずる休み』です。学校への連絡は一応「病欠」にしておきました。勝手な予想ですが、「都合欠」にすると担任の先生から電話がかかってくるようなのです。(学校の決まりかな?)
先生の手を煩わせるのもなんですしね。
でも「病名は?クリニックに行かれましたか?」とか訊かれるのもなんなので「少し喉が痛いと本人が言っております」というあいまいな理由を備考に書いておきました(笑)。
先生察して?
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さて、今日は『ビジョン』について考えてみたいと思います。
『ビジョン』とは「向かう先」「目指す先」のことですね。
因みに私の一番最終的なビジョンは『世界平和』です。
「いやいやいや…世界平和て(苦笑)」と思われた方もいるとは思うけど、結構これをビジョンに掲げている人多いと思うのよね。
ただ!!いきなりね、そんなすごいことはできません。
例えば、世界の飢餓を救うNPOを立ち上げるとか、紛争地域に行って戦いやめさせる交渉をするとか、そういうことをやりたいわけじゃないのよ。(できたらいいかもだけど)
そういうことをできる人は素晴らしいし、影ながら応援したいとは思っています。
この応援も『ビジョン』につながっている。ビジョンがあると「今やること」が明確になっていくものでね。
そんなたいそうな話じゃないのよ。本当に日常半径3mのところから「世界平和」のビジョンに向けてできることはある。
自分の日常半径3mが笑顔でなかったら、幸せでなかったら「世界平和」はむずかしい。
ビジョンまでの道のりは?
人間生きてりゃいくらでも理不尽な目に会うし、不快な気持ちになることだってとっても多い。
そんな時にどういう心持ちをもったらいいか…っていうアドバイスはいくらでもある。
例えば、カウンセリングを受けたとしたら、10人カウンセラーがいたら、10人違うことを言うかもしれない。
「まずは自己肯定感をあげましょう」とか
「セクシュアリティを解放しましょう」とか
「女性性を見ていきましょうね」とか
「罪悪感や無価値観を癒しましょう」とか…
なんでもいいの。っていうと語弊があるけれど、迷子になっているときにどういう道をたどったとしても「向かう先」がわかっていたら、どんな道をたどっても、どんなに時間がかかってもいずれは辿り着く。
辿り着いたら、すべては正しい道順だったってことになるんだから。
まずは向かう先を決めるってことはとても大切ね。
会社で悪口ばかり言う人がいて、それを聞いていてとても不快になったとか、自分は悪くないのに理不尽に怒られたとか、そういうとても日常的に「この心のザワザワ感どうしたらいいの」ってことあるじゃない?
そんな時に、自分のビジョンがわかっていたら「今どうするか」がわかってくることはあると思うのよね。
長期、中期、短期とさかのぼって「今」を見るって言うのかな。
『目標』のビジョンと『感情』のビジョン
『ビジョン』っていうと、「売上○○円!」とか、「結婚する!」とかなんかわかんないけど、そういう何か目標というか、ゴールみたいなことを決めることが多い気がする。
『世界平和』もそうかもしれない。
でもね、「楽しい感情をいつも持ち続ける」みたいなビジョンもヨシなのよね。
会社で理不尽に怒られた場合、ビジョンが「充実した会社生活」の場合と「毎日のトキメキ」の場合と、その時に起こす行動はおそらく違うものになるよね。
理不尽さをきちんと説明した方がいいこともあれば、それは私はときめかないから他のトキメキに目を向けるということもあるでしょ。
他人軸だったり、犠牲やコントロールをしてしまっていたらその時の行動がブレてしまう。
だから「私の向かう先」のために「今私はどうするか」と判断するのに「ビジョン」を明確にしてみるといい。
例えば、私は会社員時代一人の同僚がよく勘違いで私にきつい注意をしてくることがあったのね。
明らかに勘違いではっきりいって理不尽な仕打ちだった。
その時の私の中期的なビジョンは「お客さまが笑顔になること=私のウキウキ」だった。
そのミスが私じゃなかったとしても、いち早く私が対応してお客さまが笑ってくれるのであれば、なにも言わずに対処していた。うまいこと対応できたらそれはとてもうれしいことだったから。
もし、私のビジョンが「会社で出世して社会貢献をすること」だったとしたら、お客様の笑顔も大切だけれど、会社が正の方向で循環することの方が大切だから、そのミスがどうして起きたのかを検証して、以後の会社の発展につなげるためにはっきりミスの所在を正すかもしれない。
どちらでもいいのよ。ただ、自分のビジョンがはっきりしていれば、誰かに振り回されたり、被害者加害者になって悶々とするってことは少なくなるはず。
自分のビジョンのために、願いのために、快のために動いているから。
願いはあるか?
日々の「これどしたらいいの?」には、自分が向かう先のビジョンによって「今私がどうしたいのか」がわかってくると思う。
そのビジョンをどこに見るのかも結構難儀だったりする。
「やりたいことがわからない」
「やりたいことがあるけれどできる気がしない」
そんな思いに駆られることもあると思う。
そう言う時はとりあえず「神様に願い事をする時、誰も聞いていないから正直に言ってみて?」という願いをしてみたらどうだろう?
誰かがどうのこうのじゃなくて、「自分がどうしたいか」ね。
「彼のモラハラが治りますように」とか
「宝くじが当たりますように」とかじゃなくてね。
元々『感情ビジョン』を持ちたいはずなのに、『目標ビジョン』ばかりに思考が持っていかれている時も、本来の『ビジョン』が見えにくかったりする。
行動は一緒でも動機が違うとまるで心地よさが違うもの。
この『心地よさ』はとても大切で、目標ビジョンを立てて、それ向かって行動していく方が心地よい人もいれば、感情ビジョンを立てて、感情ありきの行動をとる方が心地よい人もいる。
人だけでなくて、シチュエーションにもよるしね。
そのためにはまず「自分を知ること」から。自分が何を願い、何を心地よいと感じ、なにをするとうれしいのかを日々の生活でひとつずつ見てみることから。
どんな時に泣くのか笑うのか
どんな映画を観て笑うのか泣くのか感動するのか
誰のどういう行動や言動を見て不快に感じるのか
不快に感じることがあったら、自分の感覚を知るいい機会。
ビジョンを見立てるのに必要なこと。
ビジョンを見るということは、脳というナビに『目的地』をセットするということ。
一度セットしておけば、行き方はどうであれ、迷っても何度でも検索しなおしてくれるし、時には思いがけない近道が見つかったりもする。
あなたのビジョンは何ですか?
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