ココロノマルシェ

家族の調整役は本当は必要ない?【お悩み相談】

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。人間距離(じんかんきょり)を程よく守って、沈めてしまった本当のあなたを見つけるお手伝いをしています。

2-3日前からまぶたが痙攣している。時折ビクビクビクと。気になるっちゃなるけれど、他のことをやっていると忘れる。目の使い過ぎなのかストレスなのかわからんけど、早く治まらないかな。

さて、今日はLNEに寄せられた質問ににお答えしたいと思います。

いつもブログ拝見しております
わたしの心の支えなんですよ

あれから少しだけ時が経ち、日々の平穏を取り戻しつつあります
わたし頑張るのをやめました
今こんな時だからこそ母の支えになろうと必死に頑張りましたが、遂に限界でした

ここまで来るのに時間がかかりすぎましたが、母もひとりの大人なので、きっと自分で考えると思います
いろいろなことを考えます
自分を責める日もあります
ほかにできることがあるのではないか?
母に今つたえなければならないことがあるのではないか、と

今はまだなにかしようとする勇気がありません
ただ、今は少し距離を置き、自分の心をまもりたいのです

『家族、家庭での調整役』というようなことを耳にしたことがあります
わたし、これなのかなぁ、とふと思いまして、家庭に問題が起こらないように、とか家族間の仲を取り持つような存在、調整役は本当は必要ないのですよね、

なにかそのことに関連してネタにしてもらえるとありがたいです。

(ぐーさんより)

ぐーさん、ネタの提供ありがとうございます!

そして!ブログを読んでいただいてありがとうございます!!
数いるカウンセラー、数あるブログの中の、○○分の1にしていただいて本当に感謝です。見つけてもらえた喜びは代えがたいものがあります。この出会いは偶然ではないと思っています。

*******

本当に色々なことがあった1年でしたよね。ぐーさんはいつもがんばっていたと思います。本当にすばらしいです!ファンタスティックです。

多くの事を考えて、感じて、勉強もして、周りにも目を配って、拾ってしまった諸々を少しずつ手放して…。なんて素敵なことなんだろうと感動しています。

「自分の心をまもりたい」自分の本当の感情を大切にすることですよね。

今まで「誰かのために」がんばって来た。今まで「誰かの幸せ」を一番に考えて来た。

でも、そこにぐーさんの笑顔がちょっと足りなかったのかな。

それに気づいたことが出発点なんだろうなって思いました。

さて、今回ネタです。「家族の調整役」ですね。

これって、アメリカのセラピスト、クリッツバーグが提唱した『アダルトチルドレンの6つの役割』のことですかね?

アダルトチルドレンでなくても、人は誰でも組織の中で自分の役割を当てはめることが往々にしてあります。家族でも、会社でも、近所のコミュニティでも。

思い当たる節ありません?「この仲間内では私はこの役割だな」みたいに感じること。
「どこにいっても調整役になっているな」って感じること。

これって、元々生まれ育った家庭での『役割』のポジションについてしまうことがよくあるんです。

『家族の5つの役割』という考え方です。

  1. ヒーロー/ヒロイン
  2. 犠牲者(我慢する人)
  3. 傍観者(見てる人)
  4. ヒール(問題児)
  5. チャーマー(ピエロ)

という役割ですね。ぐーさんは育った環境の中でどのポジションにいると思いますか?
2の犠牲者か、もしくは5のチャーマーかもしれませんね。

どのポジションがよくて、どれか悪いってことは全くなくて、ただの役割です。それぞれがその組織を回していくために必要なのね。

だけど、そのポジションにいて苦しくなることがある。辛くなることがある。

それは、やっぱりそこに入らないと平和に回らないからという思いから来ている。

平たく言えば「愛」が大きいってことなんだろうけどね。

2の犠牲者は底辺で支えるお母さん的な役割ね。「私はいいからみんな沢山お食べ」みたいな感じ。

ポイントは「私はいいから」のところが犠牲なのか、喜びなのかってことだと私は思う。

みんな喜ぶ顔を見て、自分も超ハッピーになるっていうことだったら、これは犠牲とはいえないから、心の底に澱はたまらないはず。

だけどね、そうはならないことの方が多いでしょ。「別に私はいいの」って思っていても、ほんの少しの「なぜ?どうして?」があると、それが徐々に重なっていく。幸せなはずなのに、不満はないはずなのに、何かが違うっていう思いに駆られるもんだよね。

このポジションに常に入ってしまう人は、周りの心の拠り所となっているんですよね。なんでもやってあげたいし、できちゃう。そういう気質だから。

だけど、ここでなんでもやってあげちゃって、少しの心の澱がたまるようであれば少し相手を信頼してあげることが大切になってくる。

調整役ってすばらしいじゃないですか。その調整方法は「自分がやってあげる」「自分が平和に保ってあげる」ではなくて、「各人の風通しを良くする」ことなんだと思います。

他者の問題は他者の問題であって、それが調整役であったとしても介入はできないし、解決してあげることもできない。でも、もともと『調整役』という才能を持っているのであれば、相手を信頼して、各人の風通しを良くしてあげることはできる。

その時の『やり過ぎバロメーター』は『私の笑顔』です!『私の笑顔』が見つからなかったらそれはやり過ぎです。

もう一つ、この家族の調整役に入る人は大抵「平和を愛する人」ですよね。なるべく波風立てずに問題を解決したいと願っているんだと思うんです。

ステキなことだと思います。

誰かのために生きてきたことをまずは誇りに思って欲しいと思います。それができるのは才能のひとつなので。

ただ、その才能ゆえの葛藤もあると思うんです。誰かのためを思って何かを決断することが今まで多かったのでは?

となると潜在意識下ではその決断は気に食わないものということがあり得るよね。そしてそれが怒りとなって心の底でくずぶっている。

だからこそ、意固地になることもあるんじゃないのかな~?と推測します。いったん決めたらもう変えたくない。変えられない!!みたいな。意固地になってしまうその下の感情をすこし解放してあげてもいいのではないかな?

「私の欲求は通らない」って思ってない?

怒りの臨界点に達するまで、我慢して犠牲を払い続けることにならないように。

だから、ぐーさんのここまでの流れはとってもいいものだと思います。

自分の心を守るために、自分の欲求を満たすために、心を健やかにするために、「私の笑顔」をいつでも見つけられられるように、今、なにしましょうかね?

大丈夫。こんなにいい感じに進んできているんだから。

これからも、色々迷ったり、悩んだりするけれど、それはきっと避けられないけれど。

調整役も悪いものじゃない。

才能なんだから。

だから「調整役は必要がない」というよりも、「間に入って他者の問題を解決する必要がない」ってことかな。

言葉で伝えるのはとてもむずかしい。ぐーさんが言っている言葉を正確に私が認識しているかどうかはわからない。でも、ぐーさんの言葉が「私が今までやってきたことは必要がなかったこと」と聞こえてきたので、そういうわけでもないよってことをお伝えしておきます。

ぐーさんがしてきた調整役はその時必要だった人がいて、ぐーさんも必要だと感じたからしていたことで、それはそれでOKってことです。

心、健やかに、穏やかに、幸せに。

参考になれば幸いです。

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