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才能を沈めたいのはあの経験からかも? 今に生きるということは

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。

昨日、こんな記事を書いた。

才能がわからない時は誰かに聞いてそれをこじらせないで受け取れ 「私ってなんの才能もないから…」と思っている?思っていない? 『天は二物を与えず』って昔からあることわざだけれども、まぁみ...

なぜ、多くの人が言ってくれる『才能』を認められないのか?

よくあるのが『セクシャリティ』が高い女性が、自分の『セクシャリティ』を隠そうとして、あるいは受け取れなくてこじらせてしまっている…という話はよくあることかもしれない。

大抵、そういう女性は過去にその「セクシャリティ」の高さ故の辛い経験をしていることが多いからだという。

痴漢によく合う
同性に嫉妬される
めんどくさい異性が寄ってくる

とかね。だから、穏便に生きていくための処世術として無意識にインプットされてしまったのが『セクシャリティ』を隠して、沈めて、自分で認めずに生きていくという方法。

それは防衛反応という側面もあるから、そうしなきゃいけないことだったんと思う。

本来の自分から離れて行くと、おのずと『問題』が湧いてくる。

なんとなく辛いとか、恋愛とか仕事が上手くいかない…とかね。

だから、本来の自分に戻りましょ!問題の奥の才能を見つけましょ!なんてことをカウンセラーは言うわけで…。

だから、今もしなにがしか『上手くいかない問題』があるのであれば、沈めてしまった『本来の自分』を浮かび上がらせてあげて、自分の才能を才能として謳歌させてあげましょう。

ここからは個人的な話なので興味があればどうぞ

「なんか面白い」が私の才能であるってことは頭では認識した(頭では)。

でも、やっぱりそれが「う~ん…」となってしまう原因?を探ってみて、ふわーーーーーっと沸き起こって来たことがある。

それは小学校時代の先生による体罰。私が子どもの時代は体罰って結構あたりまえで、先生に叩かれた!なんて話はよくあったんじゃないかな?と思っていたが、最近、そうでもないことを知り…。ああ、みんながみんな先生に叩かれていたわけじゃなかったな、そういえばと思い当たった。

私はいわゆる『できない子』で、お勉強はさることながら、忘れ物が多かった。その上極端に背も低かったので、これも先生の的によくされた。

要は、私が忘れ物をしたり「できないこと」があったりすると、『叩かれる+前に立たされて先生が何かを言って生徒が笑う』というのがワンセットだった。

例は無数にあるけれど(小学校低学年の頃の記憶はそんなのしかない)

1.忘れ物をして前に立たされて、叩かれてよろけると、生徒が大笑いする
2.あまり頭を叩くと背が縮むなぁと言い出し、頬っぺたを挟まれて持ち上げられて、生徒が笑う
3.自画像を書いたら、それを全員の前に見せられて「こんな顔色の人間はいません!」と言ってみんなで笑う。
4. ハンカチを忘れて「山本さんが手を洗った後どうするのかをみんなで見ましょう」と言って、クラス全員が周りに集まってきて「どうすんだよ~」とニヤニヤしていた。

ああ!ひどい!!かわいそうな春野ちゃん…。あまり書くと『不幸自慢』みたいになるからやめよう。まだまだあるけど(笑) どんどん思い出されてキツイわ。

笑われる=見世物になってバカにされるという『思い込み』がインプットされていたのではないかと思う。

たぶんね、私の劣等コンプレックス(ブスでバカ)もここからじゃないかなと推察する。

インナーチャイルドを癒す?

インナーチャイルドを癒す…という方法もある。で、やってみたこともあるんだけれど…

なんかいつもこの頃の春野ちゃんはヘラヘラ笑ってんだよね。別にどうということもないって感じで…。

麻痺なのかな~。

問題が解決するために「過去を癒す」という方法はある。だけど、辛い過去をほじくり出すことで、新たな『痛み』が出てきてしまうという危険性もある。

事実、今私泣きそうだし。こういう話する時はヘラヘラ笑うしかないし。「別に大した話じゃないよ」なんて言ったりしてね。

だからね、ここをそっとしておくということもできる。蓋をしてなかったことにするのではなくて「こういうこともあったよね、でもそっとしておこう」というスタンス。

それでも才能をみていく

何の気なしにやったことが、そこにいた人の笑いを誘うということがよくある。

それは子どもの頃からそうだったなぁと思う。

そんな時はたぶん
「かわいい」
「意外性がある」
「天然」
とかそういう評価があって、みんな笑っていたんだと思うけれども、なんせ『笑われる』ことがネガティブイメージだったから、それを『褒め』とは受け取れないでいたんだろうな。

だから「みんなが笑って楽しくなってくれている」という状況に、薄もやがかかって別の世界を見ていたんだろう。

そう、ただの思い込み。

あの頃の先生も100%私を笑いものにしたかったわけじゃないのかもしれない。ちっちゃくて可愛いから、からかっていたのかもしれない(そうは思えないけど)。

『思い込み』は0にはならないけれど、「色眼鏡で自分を見ているな」とすこーーーし気づくだけで前進だ。

それでも私は楽しく生きている

そんな幼少期があったけれど、それでも私は楽しく生きている。

これが一番なのだ~。バカボンのパパなのだ~。

とりあえず乗り越えた。問題は解決した。もしくは『保留にする』という勇気ある選択をできた。その証拠に今私はここに生きている。

誰のせいにもせずに(たまにする)、自分の問題を誰かに預けずに、その時々でのベストを尽くし、問題を解決する能力が足りない時は、誰かを頼り、そうやってここまで来ている。

それでいいではないか。

せっかくいただいたギフトを開けずにそのままにしておくつもりか?

あとは、受け取って与えるだけだ。

そんな思いが、あなたの空まで届きますように。

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