「だから私はダメなんだ」と思ってしまうことは多い。こうやって言語化して思考の中で思っていなくても、潜在的に埋め込まれていてそれが他の症状で現れてくるということもある。
「だから私はダメなんだ」とネガティブ沼にはまり、すべての事象を「私がダメである証拠」としてとらえてしまうという現象はあるあるであるが、厄介なのは「ダメであると思う自分はだめ」と『ムリクリポジティブ人」は結局抑圧していることになるので、これはまた対処が変わってくる。
まぁ、いずれにしても『ポジティブ』がよくて『ネガティブ』がよろしくないということ自体、自己受容していないということになるんだよね。
ポジティブとネガティブ、陰と陽は常にセットで、どっちがいいとか悪いとかの問題じゃないからね。両方あっていいの。両方あるのがあたり前なの。
そりゃ、ポジティブはいいよね。楽しそうだよね。楽そうだよね。それももちろん否定しない。100%ポジティブな人はいないし、もしいたとしたらその人ただの『○カ』だと思うよ。
でも、いないから!!100%ポジティブの人はいないからね!!
「この人ポジティブでいいな」と思う人はね、たいてい『ネガティブな感情』とうまく付き合えている人。要は自分の『ネガティブな部分』を受けて入れて認めている人ということだと思う。
なんでダメと思いたいのかな?
私は物事をうがった見方をしていたらしい。まぁみんな偏見をもって世の中をみているからそれがどうということでもないのだが、謙遜している人(?)をみると「この人は私になにを言って欲しいのだろう?」と考えていた。
結構若い頃から。
例えば、数字的に痩せている人が「私太っているから」と言ったとする。多分、定番の返事は「そんなことないよ~」なんだと思う。
で、ここで考えてしまうのである。「そんなことないよ~」と言われたいがためにこの人は「太っているんだ」と皆に宣言しているのか?と。じゃぁなぜこの人は「私は太っていない」ということを周りから言われたいのだろう?と。
そしてギャル基本の会話が続く「いや、太っているんだって!」「え~どこが~?それ以上痩せたら骨しかなくなっちゃうよ~」「そんなことないよ~。ほら~こんなに肉がつかめるじゃん」「ええ~それ皮じゃない?そんなこと言ったら私の方が太っているよ~」
という会話が続く。
うん、別に悪くない。嫌いじゃない。
でも、なんでそんなに自分を「太っている」ということにしたいのだろう?
「ダメな自分」と通じるところがある気がする。
自分を「ダメ」と思いたい。「私は太っている」と思いたい。それと同時に周りから「ダメじゃない」とか「太っていない」と言われたい。でもやっぱりどんなに言われても「そうだよね!」とは思えない。
そこにはきっと何かがあるんだと思う。
ネガティブな感情があるということは、そこにポジティブな感情があるということ。
ネガとポジ、陰と陽、光と影、朝と夜はセットだからね。
言ってみれば夜明け前だな
こちらから見れば順調なのに、『ない』ものばかりみて『ある』ものを見ていないじゃないの?ということがある。
「すごいじゃない!」
「全然すごくないよ。だって○○(ないもの)だったし」
「でもさ、○○(あるもの)だったんだから」
「ああそうか…そうやって思えない私はやっぱりダメだな」
ダメ出し大好きだね!! きっとね、今はね『ダメ』をいっぱい探して、それを恩恵に変えていく期間なんだろうね。
言ってみれば『夜明け前』
一日の中で一番気温が下がる時間。これが過ぎると一気に気温も上がり、光が差す。
じっと耐える時間かもしれない。
人によってはこれが1日の始まりという人がいるかもしれないけれど、私は日が暮れる時間が1日の始まりだと思っている。
暗いところから始まる。そこで考えすぎな位考えて、模索して、がんばって、なんとかしようと足掻いて…で、しんとした夜明け前を経て、日が昇る。
暗闇だったところから光が差す。
ネガをポジに変えていく。
そのためにはまず…
ネガティブな感情と仲良くなることだ。ネガティブがないとポジティブはないんだから。
そんなにネガティブを嫌いにならないで。
『ダメな自分』を『ダメ』なんて思わないで…
『ダメな自分』が可愛い~~と、ぎゅうぅぅっと抱きしめてくれ!
と思うところからダゾ!