実家のハエが気になって、家族4人でカインズホームへ。ハエ取りリボンがいいか、コバエなんとかがいいかと超盛り上がって、結局『ハエ取り棒』なるものを購入したが、ハエ取り棒は未だ十分な働きを示しておらず、ハエたちは私たちをからかい続けている。
ハエめ~。
さて、朝起きたら夫に「コーヒーが飲みたい」と言われたので「はんちゃん、コーヒーを淹れてください、と言え」と言ったら「ローソンのコーヒーが飲みたい」とのたまいやがった。
しばらくして「それってもしかして買ってこいってこと?」と訊いたら「いいよ、待っているから(買ってきて)」と言いやがった。
あっ、これ我が家のネタでして…。今は亡きじいさんの得意技で…
こちらにしてみたら「なにそれ?」なのだが、じいさんにとってはこれ以上ない気の使い方なのだ~。
気を使ってくれていることを感謝すべきなの?
『鍋焼きうどん事件』と称されるこの事件は、長男が1歳になっていない頃起きた事件で、鍋焼きうどんをつくろうとしたら『ネギ』がなく、
「お義父さん、ねぎないんですけどいいですか?」
と訊いたら
「ああ、いいよ。待っててやるから」
と言われ、何度かやり取りしたものの、「ネギのない鍋焼きうどんはありえない」ということで、私がすごすごとネギを買いに行ったという事件。
こちらとしては「ねぎなしでもいいですか?」という意味だったが、じいさんにしてみたら「待っててあげるという気づかい」だった。そこに「ねぎなしの鍋焼きうどん」は存在しないので、じいさんにとってはとっても親切な行動ってことになる。
普通だったら「ネギがないとは何事だ!」と怒るところを、にっこり笑って「待っててあげる」のだから、優しいし、気を使ってくれているってことになる。
でも、私としては子どもが小さいから連れていくのも一苦労だし、ネギくらいなくてもと思っているので「気を使ってくれていない」ということになる。
で、これを夫に話すと「なんで感謝できないの?」となるわけで…。
感謝できない私が悪いのか?
じいさんとはこういうことがよくあった。いわゆる価値観の違いってことになるのかもしれないけれど、本当に食い違いが多かった。
基本じいさんは「やってやる」というスタンスなので、「介護させてやっている」「はるちゃんの好きな人を育てた人を介護できるなんて幸せだし感謝だろう」と言われた時は結構なショックを受けた。
すべてにおいて「してやっている」と言われると、なんか感謝を強要されているようで嫌だった。
そして素直に感謝できない私が悪いような気がしてきて…大好きな罪悪感に行きつく。
8年間の介護の最終的に行き着いたところは『鬼嫁』だったので、感謝もクソもなく、威張り散らしていたけど(笑)
感謝はするものではなく、沸き起こるもの
育ちのせいか「感謝しなきゃ」とか「感謝すべき」と思ってきた。感謝が足りないとか、感謝をしないから、周りも感謝してくれないんだとか…。
自分にも『感謝の強要』をしていたのかもしれない。
感謝はね~「すべき」ことじゃないと思っている。かといって「感謝しなくてもいい」とも思っていないけど、でもやっぱりあの頃は「ネギを買いに行かせてくれてありがとう」とか「介護させてくれて感謝です」とは思えなかった。
そんなもん思えねーよ!!
でも、じいさんが天に召された時、なんかわからないけれど『感謝の念』がわいた感覚は覚えている。それを言葉にするのはむずかしいけれど。
「介護させてくれてありがとう」に近いのかもしれない。
途中でいろいろ『振り切って』鬼嫁になったからかもしれない。介護当初の頃のように「長男の嫁として」とか「いい嫁になりたい」とか「親戚の目、他人の目が気になる」とかばかり考えて、犠牲と抑圧、そして取引、期待…そんな中にどっぷり浸かったまま介護を終えていたら「感謝の念」は感じなかったかもしれないな~と思う。
そこに残るのは『ウラミ』だけだったかもね。
今も、じいさんの「やってやったぞ」という言葉を思い出すだけで腹が立つけど(笑)
ある意味『天真爛漫』な人だったのかもね。
いや、『承認欲求』が強かったのか…
それとも『罪悪感』だったのか…
それでも私たちはなんとか『家族』をしていたんだろうな。
そしてじいさんの話は未だによくする。夫も長男もよくする。ウラミであったとしても、感謝であったとしても「忘れられない」人であることは間違いないな。
悪目立ちでも目立ちたい。どういう感情であっても忘れられてほしくない。そんな思いは誰にでもあるのかもね。
感謝はしないけど、忘れもしないよ。