長男がまた「つるし上げにあった」と言ってきた。「つるし上げ」という言葉がいたく気に入ったらしく、最近よく使う。
そしてうっかり私が使った言葉「見せしめ」にも大きく反応。意味を丁寧に訊いてきた。
そしてこういった「オレ今日、見せしめにあった」と。
長い間封印していた『先生に対するなんだかんだ』の紐を解いてしまったらしい。いいのか悪いのかは知らないけれど…。
良くも悪くも小学校時代は「先生は神」のような存在であることが多い。先生の言うことは絶対。でも、まぁ中学年くらいからだんだん変わってくるんだろうね。
それでも、子どもだって大人だって怒られたくないし、多くの人に認められたい。
怒られた。認められなかった。愛されなかった。自分よりできるヤツがいた。
そんな経験を少しずつ積み重ねて、夢だったことを諦めてきた。
そこにいろんな言い訳を積み上げて。
「どうせオレは勉強ができない。勉強ができる才能が欲しかった」
長男が暗闇で呟いた言葉。
なんだ?勉強ができる才能って?
その才能があればすべて解決されるような気がしたんだろう。『つるし上げ』にも『見せしめ』にもあわない。
でも、本当にそうだろうか?
誰かのためじゃない。「誰かに認められなくてはダメ」じゃない。
自分のために、まず自分が自分を認めてあげるのがいいのでは?と思う。
長男への言葉と見せかけて、自分への言葉だったりする(笑)
才脳人応援歌 by BUMP OF CHICKEN
♪才脳人応援歌というBUMPの曲がある。
『才能』じゃなくて『才脳』なんだけど。
昨日からずっと頭の中で延々リピート。
歌詞はこちら
子どもはみんな夢を語る。それは大人に聞かれるからね。
幼児期だったら、何にでもなれると思っていたかもしれない。それでも「なれるもの」はどんどん減っていき、いつの間にか「好きなことで生活していくことは難しい」と悟る時がくる。
「自分よりそれが得意なやつがいたから」
「それじゃ、お金は稼げないから」
今も私はこれに悩まされる。自分じゃなくてもいいんじゃないかな?と思ってしまう。
それをやって、生活できるだけのお金が稼げるのか?とも思ってしまう。
負けん気もないし、比較競争の罠にはまると、どんどん落ちていくだけなんだよね。
目立ったことしなくても、好きなことをしなくても、平凡で退屈な毎日は過ごせる。
それでも、まぁいいのかもしれない。そうやって今まで生きてきてしまったかもしれない。
自分じゃなくてもいい…それは誰か決めることなんだろうね。
決めているのは自分。もしかしたら誰かに言われたことがあったのかもしれない。
それでも、その言われたことを採用したのも自分。
とりあえず、「どうせ自分なんかが…」と思ってしまって鬱々としてしまったら…
大きな声で歌うことにしている。
自分のために、自分のための歌を。
誰かのためではなく、自分のために
社会的にとか、お金が必要とか、誰にでも制約はある。だからといって『好きなこと』『ワクワクすること』をやってはいけないということではない。
なんとなく、ここが混乱するんだよね。
きっとそれは今まで育った環境で埋め込まれた『思い込み』かもしれない。
誰かに認められたかった。
誰かに愛されたかった。
そのためにしてきたことが、いつの間にか『制約』になってしまった。
自分よりできる人がいるからって、それをやってはいけないってことはない。
『私』がやりたいのであらば、やればよろしい。
うまくできなくたってかまわない。
上手く出来ているかどうかなんて、誰かの主観に過ぎないし。
好きでもない人の評価なんて、なんてことない。
才能があるかないなんて、自分じゃわからないもの。
自分が持っている才能って、自分じゃ出来てあたりまえだから、気づかないもの。
なにができるか?じゃなくて
なにをしたいか?で考えてみる。
ぐるぐるぐるぐる回りながら、らせん状に上にむかっていることを願う。
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