『愛される基準』みたいなものは、ひとりひとり持っていると思う。
○○さんは美人だから愛される
○○さんはやさしいから愛される
○○さんは女子力高いから愛される
○○くんは強いから愛される
○○くんは頭がいいから愛される。
まあ、列挙すればいくらでも出てくる。一方では「そうだよね」と思うものあれば「えっ?そうなの?」と思うこともある。
大体が子どもの頃に、概ね親から刷り込まれたこの『○○でなければ愛されない』という概念。大きくなってから恋人に刷り込まれる場合もあるのかな。ポイントは「○○でなければ」ということ。裏を返せば「○○であれば愛される」のだから、この『○○』になれるように、努力するしがんばるし、そしてそれに関する評価を求め続けてしまう。
他人軸の出来上がり。
でも、そうせざるを得ない時代が誰にでもある。
親に愛されなければ…飢え死にするからね。っていうか実際はこの世はやさしいから飢え死にはしないとは思うけれど、人間も自然界の一部。そういうDNAが組み込まれているんだから仕方がない。
だから、私たちは親が他意や悪意がなかったとしても、ちょっとした親の言動から「○○しなければ愛されない」と判断して、そして思い込んで、潜在意識に組み込んで生きていく。
でも、それってホントにそうなのかな?この『○○ブロック』をはずすこともできるんじゃないかな?
三月のライオンの幸田歩
私の愛するマンガ『3月のライオン』に幸田歩という少年が登場する。メインキャラでもなんでもなく、全体で見ても多分数ページしか出てこない。
読んだことのない方のために少し説明すると…
家族を交通事故で無くした主人公、桐山零は、父親の古い知り合いの棋士『幸田』の家でお世話になることになる。その家には同年代の幸田の実子が2人いて、共にプロ棋士を目指している。ところが、桐山零は才能があり、努力をし、中学生でプロ棋士になる。幸田の実子2人はプロ棋士にはなれず(ならず?)、桐山零と同い年だった幸田歩は引きこもってゲームばかりするようになる。
もう一人の実子の香子はこの後の物語にも出てくるが、幸田歩はこれっきり出てこない。
そして私は彼のこの先がとても気になる。
幸田は将棋を愛していて、将棋が人生のような人だから『将棋が強い=愛される』と子どもたちは思い、頑張って将棋をやる。「父親に愛されたい」と強く願って。
将棋の家の子に生まれたから「将棋が強くなければ愛されない』という図式がなりたったのだろう。
強弱の差こそあれ、どの家庭にもあるのでないだろうか?その家の『愛される基準」みたいなものが。
それは、親が決めたことだったのか、子がそう思い込んだだけだったのかはわからない。
将棋が強くなくたって、プロ棋士にならなくなって、父親には愛されているだろうと外野は思う。きっと愛されていたよと言うだろう。
でも本人はどうだろう?「そんなことはない」と言い返すんじゃないかな?結局は将棋の家の子にうまれたんだから、将棋が強くなければその存在理由はないんだとおもいこんでしまっているんじゃないかな。
3月のライオンの幸田香子
幸田歩の姉、幸田香子は歩とは全く違う性格で、負けず嫌いでとにかく激しい性格。やはり父親に言われてプロ棋士をあきらめざるを得ない状態に持って行かれ、荒れる。
事情は一言では言えないけれど、父親と同じプロ棋士と不倫関係になり、また、桐山零にもなんどもちょっかいを出してくる。
幸田歩がどうなってしまっているのかはわからないけれど、「プロ棋士の父親に愛されなかった=認められなかった」という思いが、その後の人生にどう作用してくるかはその人それぞれなんだろう。
香子の心には「愛されなかった」思いが強く、それは自分が強くなかったからだと思い込んでいるのだろう。それが『将棋が強い』ことが第一とされている家庭に育ったから。「愛されていない自分」はどうしたら愛されるのか?を模索するのではなく、「ほら、やっぱり愛されない」という方向に進んでいってしまうことがある。
成就しない方向へ向かってしまうんだろうね。不倫とかね。
幸田氏は本当に実子の二人を愛していなかったのか?
外野から見れば、「いや、そんなことはないよね?」と思うんだよね。幸田は子どもたちにきちんと伝えている。
「今、零に勝てないようだったらプロ棋士になっても勝てない。零のようなレベルはプロではあたりまえだからだ。もうプロは諦めた方がいい」と。
強くないお前たちを見捨てると言っているわけでもないし、将棋の家の子でそんな弱いのは認めないと言っているわけではない。
見方を変えれば『親心』だろう。そういう愛の表現だ。
自分で自分を「○○だから愛されない」とジャッジしているんだろうな…と思う。
思いを感情を外に出す
そんな「愛されなかった」思いを抱えて、抑圧して、麻痺させて生きている人は多いと思う。
麻痺しちゃっているから、自分でも気づかない。なんでこんな風になってしまうのかもわからず、苦しんでいる人もいるだろう。
カウンセリングって、そういう心の奥底に沈めてしまった思いや、自分自身の見つけいくという作業でもあると思う。
なんとなく育ってきた環境に原因があるのではないかな?と思ってはいるけれど、じゃあどうすればいいのかはわからない。
幼い頃から私たちは沢山傷ついて、痛みを抱えて生きている。
その痛みはとても大切なもの。丁寧に癒していければとても素敵なことだと思う。
親の悪口を言うわけじゃない。
今までの人生を否定するわけじゃない。
感情を解放したら、実生活で劇的な変化があるわけじゃない。徐々になんかよくわからないけど、なにか世界に少しずつ色がついてきた…という感覚がある。
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おんなをひらくカウンセラー宮本朋世さんのカウンセリングを3回受けた。昨日がその3回目だった。
「女性性の解放を目指していたような気がするんだけれど、もうなんだったか忘れてしまった」
という思いだった。
朋世さんはとても喜んでくれた。
この3ヶ月間、たくさん泣いて、たくさん考えて、たくさん怒って、たくさん笑った。
そして、カウンセリングの初回になんであんなに泣いていたのかも忘れてしまった。
きっとこれがカウンセリングの効果なんだろう。
忘れることができないから苦しいんだよね。忘れることができたということは…楽になれたってことなんだろうね。
『○○じゃなければ愛されない』と思っているのは、もうどうしようもない。
だけど、『ただここにいるだけで愛される』ということも同時に感じていたいと思う。