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記憶の連鎖で掘り起こされる潜在意識について

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。

 

無意識とか潜在意識とかって、ふとした時に顕在意識に上ってくる時がある。

人の心ってちょっと粘りけのある水みたいなもので出来ているような気がしていて、その中に色とりどりの記憶のボールが浮かんでいるようなイメージ。

顕在意識は上の方に浮かんでいる記憶で出来ていて
潜在意識や無意識は下の方に沈んでいる記憶で出来ているような気がする。

それは何かのきっかけで突然浮かんで来たり、何かのきっかけで沈んでいったりしているような感じ。ゆっくり流動している感じ。

なんでこんなイメージを自分が持っているのかは定かではなくて、どっかで見たか聞いたかしたのかもあまり記憶にない。

なにかそれに類似する経験とか、きっかけとががあって、その記憶が持つ感情だけを感じることもあるんだけれど、なんでこんな気持ちになったのははよくわからなかったりする。

その感情を持つきっかけとなった記憶が沈んでいるからなんだろうなと思ったりもする。でも、その記憶はなくなってはいなくて、そこにあるけど沈んでいるだけ。

その浮いたり沈んだりしている記憶をどうするのかは、自分次第な気がしている。

全ての記憶はなくなってはいなくてそこにあるんだけれど、忘れていたり、いつのまにかすり替えられていたり、切ったり貼ったり組み合わせたりして、あまりあてにならないような気もするし。

だったら能天気に「まぁそんなこともあったけど、今は幸せ」って思えるように、切り貼りしちゃっていいんじゃないかなぁと思う。

自分を野菜に例えるなら

先日ちょっとしたグループの集まりに参加させてもらった。そこでは絵を描いて、そこから自分がどんなタイプかみたいなことを読み取っていくみたいなことをした。

お題は「自分を野菜に例えるなら」だった。

私が描いたのは、畑で育ったごぼうだった。

他の方は『売られている状態』の野菜を描いていたり、料理された状態の野菜を描いていたりして、とても面白かった。

野菜にもいろいろあるなぁ。

そこで「なぜその野菜が自分なのか?」と訊かれた。そこでぱっと記憶が蘇った。

子どもの時「ごぼうみたいだ」と言われたことがあったことを。いや、子どもじゃなかったかも…。もう高校生くらいだったかも…?そこも記憶は曖昧だった。

「そう言われていやじゃなかったの?」と訊かれて、その時の感情もうっすらと蘇ってきた。

どういうシチュエーションで言われたのかはわからなかったけれど、色が黒くて細いからごぼうみたいだと言われたんだった。その人が誰だったのかも思い出せないけれど、こうやって咄嗟に「自分はごぼう」と思ったくらいだから硬い記憶だったのだろうな。

「ごぼうみたい」と言われてたぶん嫌だったんだじゃないかな?だって色黒は褒め言葉でもないし、ひょろひょろに細いっていうのも一般的には褒め言葉でもない。

でも、「そう言われてイヤじゃなかったの?」と訊かれた時に「イヤじゃなかった」と答えた後、一瞬「あれ、私嘘ついてないか?」と思った。

ごぼうと言われてイヤじゃなかったか…?嫌だった気がする… ザワザワした感情が思い出されてきた。

でも、嫌じゃなったという感情も同時に湧いてくる…?

深く沈んだ記憶のボールがゆっくりと上がって来た。

そうだ、その時一緒にいた別の人がこう言ったんだ。

「ごぼうは泥だらけで黒いけど、本当は白くてきれいなんだよね」って。

記憶は、過去は変えられる

記憶の断片。組み合わせ。記憶のすり替え。記憶の思い込み。

人の記憶ってもしかしたら操作できるのかも?と思った。

事実と真実。

今が幸せなら、どんな過去があろうとそれも『ここ』に向かっていたんだと思えるようになって、その『辛い過去』も受け入れられる。

だとしたら、今辛かったとしても、未来で幸せになっていれば、この「辛い今」も未来で『あってよかった過去』になるんではないかな。

記憶なんて浮いたり沈んだり、時々差し替えられたり、なんだかんだり…。

だから、そんなに縛られるもんでもないのかも。

能天気になれば「ごぼうって言われて褒められちゃった」ってなるんだよね。

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POSTED COMMENT

  1. グミ より:

    『ごぼうみたい』わたしも小さい頃言われました
    だからだったのでしょうか?
    春野さんに導かれるようにご相談させて頂いたのは…笑
    子供の頃に『ごぼうみたい』と言われて色が黒くて細くて…傷ついた記憶はありませんが、大人になってもまだおぼえているということは、だいぶショッキングな出来事だったのかな、と今振り返ると思います
    大人になってから、肌が浅黒く顔立ちがハッキリめのせいか、『エキゾチック』と言われ、なんだか褒められた~と嬉しく思うことがありました笑
    捉え方なのだろうな、と思いますね
    どんなふうにも解釈できる、自分の都合のいいように(自分の心地いいと感じるように)そんなふうに毎日を過ごしたいと思います

    • 山本春野 より:

      グミさーん。いつもありがとうございます。
      エキゾチックな顔立ちってステキな褒め言葉ですよね。
      私もマレーシアに旅行に行った時、何度もインドネシア人に間違われ、タイの人にも「タイ北部出身?」言われました。
      これを「ひどい!」と思うか「へぇ、そう見えるんだ~(以上)」と思うかも人それぞれですね。

      ものはとりようとらえよう。
      毎日ご機嫌でいたいですね。

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