過保護と過干渉…似て非なる言葉。過保護も過干渉もなんとなく良くないイメージがあるが、私は、過干渉はしてはならぬが、過保護は必要な時があると思っており、これは過保護か?それとも過干渉か?と問いながら子育てをしている。
さて、過保護と過干渉…。違いはなにか?
だれの子育てにも立ちはだかるこの『過保護と過干渉』の問題…。
私は過保護は悪くないと思っている。でも過干渉はどうだろう?
過干渉と過保護の違い
児童精神科医の佐々木正美先生が著書『子どもへのまなざし』の中にこんな説明がある。
過保護とは、…(中略)…子どもが望んだことを望んだとおりやってあげて、やりすぎるということです。
引用元:子どもへのまなざし
過剰干渉というのは…(中略)…子どもが望んでもいないことを、やらせすぎるということです。
引用元:子どもへのまなざし
わかりやすい!!
そう考えると、わたしはちょっと過保護だと思う。望んでいることは自分のできる範囲内でやろうと思っているし、「かかありがとう!」と言われたいがために、ちょっと上を行こうとしてしまっている感がある。
なんでも『過ぎ』はだめなんだけど、ある程度、愛を持って接していれば、過保護はいいと思うんだよね。子どもの気質にもよるし、性格にもよるからなんとも言えないが…
夫は私を過保護と言い、そしてそれはよくないと言う
因みに私は夫に「過保護すぎる」と言われている。←ちっ!口出さずに手と金出せよ…イケナイイケナイ…
・抱っこと言われたら抱っこしてあげる
・好きなことは好きなだけやらせる
・朝かぎっ子を心配して会社を辞めようとした(辞めなかったけど時短にしてもらった)
・家の外でボール遊びをさせない、もしくはする時は一緒にやる
といったことが『過保護』認定されているのである。
これ、過保護???
過保護かもしれないけど、これをやったらうちのぼうずたちは『悪い子』になっちゃうとか『自立しない子』とかなんだか悪い影響があるとでも言うのかい?
過保護は悪くない。と思う。
気持ち(心)を満たす器のようなものが誰の心にもあって、その器の大きさはひとりひとり違う。愛を注いでもらえれば満たされて、精神的に満たされた人になり、人に対して攻撃的にならないと思っている。
ただ、この器の大きさがバカでかい人という人もいて、いくら愛情を注いでも満たされず、間違ったもので満たそうとしてしまう。ということもある。
それならば、わたしの目一杯の過保護さで皿を満たしてやろうではないか!!という考えである。
子どもは守ってあげなければいけないが、守りすぎたら親に依存してしまう
うちのぼうずどもは、神経質でもないし、こだわりもあまりないからさして気を使うことはない。でも、いわゆるHSP(高度な感覚処理感受性)の子だと、親としてもかわいそうというか、騒がれるのも面倒というが、なんというか、先回りして保護してあげたくなるというか…親としての心理が働いてしまい、過保護から過干渉になって行ってしまうのではないだろうか?
例えばこういうこと
いろいろなにおいに敏感で、ちょっとでも変わったにおいがすると泣いたり、ぶちぶち文句を言うという子がいたとする。
過保護な親は、そんなにおいがしてきてぶちぶち文句を言ってきたら、同情し共感し、その子が望むのであればそのにおいを排除しようとする。
過干渉な親は、においが出そうな環境にその子が行くことがあると「においがするかもしれないからそこに行くのはやめなさい」というか、そのにおいがするであろう場所/人に先回りして「においを出さないでください」という。
この違い…。
同じように見えてだいぶちがう。
この子が成長するにつれて、過干渉な親で選択肢がどんどん狭められているからだ。
子どもはみんなお母さんに『共感』してもらいたい。『共感』できないこともあるけれど、とりあえず話を聞いて、もし『共感』できなかったとしても、寄り添って「じゃあ、どうするか」を一緒に考えてあげることが大切なんじゃないかな?
過干渉な親は、本心から「子どものため」を思って行動している。子どもはそれもわかっている。大好きなお母さんがそういうから従わざるをえない。というか、従わない理由すら与えられていない。
だって、道はしかれてしまっているのだから。
子どもの選択肢を持つ権利を与えよう!
自分が満足の行かない人生を送ってきたと思い込んでいるもしくは自分は完璧な人生を送ってきたと思っている人の中には、「自分のような人生を歩んでほしくない」「自分のような人生を歩んでほしい」と強く願い、それは子どものためだと本気で信じている。もちろんここには間違いなく『愛』があるのだけれども。
『あなたのためだから』は『じぶんのため』と思った方がいい。
でもね、厄介なのは、『本気』で子どものためだと思っているところなんだよね。
そこのお母さん、もし子どもに「あなたのためだから」と言ってなにか『やらせて』いたら、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
それは本当に『あなたのため』なのか? もしかしたら「わたしの自己満足」かもしれないと疑ってほしい。そしてそれを「自分がそうしたいから」に切り替えてみたらどうだろう?
子どもが幸せになるためには、いい学校に行くことでも、人より秀でたものを身につけることでも、安定した職業につくことでもない。
自分で決めた道を、満足して進むことなんだから。
あなたの幸せの価値観を、いくら自分の子どもであっても押しつけてはいけない。
子どもがお母さんに望んでいることは、手放しで大きな声で大きな身振りで「大好きよ」「大切な子なのよ」と示すことなんだと思うよ。
自分に言い聞かせている気がしないでもない…。
がんばってみよう。
子どものため!じゃなくてあなたのために
自分の子どもでも、それはやっぱり『あなた』ではない。親は子どもを愛しているのでどうしても心配だし、自分自身のような気がしてきてしまうのは無理はない。
あなたもそうやって親に育てられてきた。苦労させたくない。自分が思うように思ってほしい。同じ価値観で生きているような気がしている。それが指図になったり命令になったりしちゃうんだよね。
なんでこんなことになるんでしょうね?
自分のようになってほしい
自分のようになってほしくない
自分が生きてきた人生が正しいと思いたい
誰からも認められたい
社会的に立派になってほしい
安定した人生を歩いてほしい
心理的に考えるとこういう思いと子どもへの愛から『過干渉』になっていくんだと思います!
「私は私」「子どもは子ども」
心配を信頼に変えて、見張りじゃなくて見守り。あーーーーこれが本当に難しい。だって気になっちゃうからね。
でもね、自己肯定感を上げて、他人軸から自分軸にスイッチすると、あなた自身が生きやすくなって生活に人生に輝きが増します。それが子どもにも伝染していきます。
根本師匠の『子どもの将来は「親の自己肯定感」で決まる』こちら↓
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あなたが毎日楽しく生きていることが、あなたの子どもの生活の満足度を上げるんだよ。
子どもはあなたを見ています。眉間にしわ寄せているお母さんより、笑っているお母さんを見たいと思っているはず。
まずはあなたの主役のあなたの人生を輝かせて!
でも、なんで眉間にしわ寄せてしまうんだろうね?