次男が急激に進化している。あの「恥ずかしくて言えない」とだまーーーーーっていた次男だ。
特に何かを言ったわけでもないけれど、私自身の子ども時代を突然思い出しそんな話をしたら、「恥ずかしくても言ってみるよ」と宣言した次男。
すると、保育園の先生から「次男くんがお友だちにやめてと言えた」とか「次男くんがひとりで帰りの会で発表をした」とか毎日のように報告があるようになった。卒園アルバムの表紙の絵も「描けない!!」とパニックになっていたのにさっと描いたと連絡帳にも書いてあった。
なんだかわからないけど『その時が来た』だけなのかな。
言えないことを言えるようになったら、感情も豊かになってきたらしく今度出てきた思いは『怒り』と『悲しみ』だった。
目下、次男の悩みは「毎日毎日同じことの繰り返しの人生はもう嫌だ」と「保育園の日々は地獄のようだ」ということらしい。
次男はよく見て考えている
次男はよく考えて言葉を出す。せっかちな私はそれを待てない。たいてい質問したことになかなか返事しないので、聞いていないか、答えたくないかのどちらかだろうと他の話題に移ってしまうことが多いのだが、今さらながら『返事しないで考えている』ことがわかった。
暗い気分で車に乗り込んだ次男がいう。
5分後…
あああああああ~!!!5分間そのことについて考えていたの!!?ごめん、母さんその話のこと忘れてたよ。ごめん!!
次男はじっくりゆっくり考える…。今までもそうだったのに私のテンポ(長男のテンポの速い)に合わせられていたからしゃべれなかったのかな。
すまん。
寂しいとよく言うようになった
年中さんまでは年長さんの面倒見のいいお友だちといつも一緒にいて楽しくやっていた。いつも受け身の次男はそれが快適だったのだと思う。
年長さんが卒園してしまって母としては「どうするんだ?」と心配したが、同い年のお友だちとも遊ぶようになって安心したが、なんせ言えない子なので、件の『言えないと一年生になったら困る」という状況になったわけだ。
次男は進化して「やめて」と言えるようになったら今度はちょっとした罪悪感に見舞われるようになったのだろう。
「やめて」と言えるようになって自信がついた自分と、「やめて」ということによって言い返されたり、イヤな顔されて「よくないことをしてしまった」という罪悪感。そしてなんとなくお友だちと距離を取ってしまう。
そして『孤独感』を味わっている。
「こっちにくんな」とか「仲間に入れない」とか「すぐ泣くから一緒に遊びたくない」とか言われちゃうからひとりで遊ぶしかないということになっている。
『言えない子』だと、自分をなくしても仲間に入れてもらえる安心感。
言えるようになったら「拒否されるかもしれない恐怖心」から味わう孤独感。
どっちがいいのだろう?
あいつをやっつけてやる!という怒り
次男の人生相談に長男が乗ってやっていた。
と2人でジャイアンみたいになっていた。
因みに二人とも世間一般の基準で言ったら『おとなしい子』の部類に入ると思う。そんな二人の会話がかわいくもある。
次男がこうやって怒りを表現するのもなんか成長だなとも思う。
心理分析でいうと、『怒り』は何かしらの感情に蓋をするためのもの。一体次男はなんの感情に蓋をしようとしているのだろうか?
お友だちがいない寂しさ
声をかけられない悔しさ
ひとりで遊ばなきゃいけない孤独感
何もできなかった無力感
だれかを傷つけてしまった罪悪感
一体なんだろうね? とにかく次男は怒っている。そして自分を怒らせているその下にある感情がなんなのかもわからない。
子どもも大人も一緒だ。
自分軸と他人軸
じゃあ、一人になることに慣れればいいじゃない。
そんなお友だちとは遊ばなくていい。
あいつが悪い、あなたは悪くない。
というアドバイスもできると思う。実際そんなことも言ってみた。
でも明らかに納得していない顔をしている。そんなことは分かっている。それができないから困っている。そんな顔だった。
そしてじっくり答えを待っていられない私。きっと次男はその後もじっくり考えているんだろうね。
私から言えることは、「そんな人のことばかり気にしていないで、自分の好きなことをやっていればよろしい」だ。
さて、次男の好きなことってなんだろうね~。
YOUTUBEと料理
なんだろうね、今のところ。
まだ6歳。まだまだ君のすきなこと、夢中になれることには出会っていないのかもしれない。そんな夢中になることに出会える日を楽しみに待っていてくれ。それを見つけたら離さないでほしい。
好きなことを夢中でできるような素地を作ることが、今は大切なんだよ。
お友だちにやり返したい!という気持ちが悪いことではないよ。でもそれをすることで君の中にたまっていく負の感情を手放す方法も一緒に身につくといいね。
大人になればなるほど、感情の層は高く高くなって、それをひとつずつめくって潜っていくのは時間がかかるし、体力もいるんだから。
お母さんの感情の層はモンブラン級に高くなっていませんか?
人は生まれた瞬間から、色々な感情の層が積み重なっていく。お母さんの体内から出て光を見た瞬間から、光を与えられたのと同時に、守られていた世界から放り出されたような不安感を感じる。
産み落としてすぐ赤子を抱っこして「大丈夫だよ」と言ってあげるのが大切だと聞いた。それだけで赤子は安心するらしい。
それがなかったら『不安』という感情の層が一枚上乗せされる。
大人になった私たちはなんだか毎日焦って、イライラして、不安に思って、色々な痛みを感じて、傷を負って生きている。
そうやって感情の層が積み重なって、楽しいはずの子育てにイライラし、楽しくなくなっていく。
それはその目の前の問題のせいだけじゃない。
生まれてから今までに積み重ねてきた感情の層がそうさせている。そのミルフィーユのように積み重なってきた感情を一枚一枚はがしてみませんか?
あなたの、私の、怒りの下にある、沈んでいる感情はなんなんだろう?