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痛みが強すぎると「ほら誰も癒してくれない」と高い塔の上に籠る

私の住んでいる地域の学校はまだ夏休みではない。来週から2週間の休みにはいる。そして私も休むことにしている。

会社員をしていた頃「休むためには何倍も働らかないと休めない」と思っていたが(実際会社員ではあったが私の仕事を他の誰もできない状況だったのでそうなっていた)、今は別にそんなこともないし、私が休んだって誰も困らないのになぜか『休む』ことに罪悪感が…。

えっ?誰に対して?? 誰かに「休みをください」というわけでもないのにね。不思議だね。

これが、心の癖というものなのでしょう。

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さて、今まで生きてきて『痛み』を積み上げてきたという人は多いのではないかな~と思う。

依存の時代に「頼りたかったのに頼らせてもらえなかった」という経験。
「助けてもらうほどの価値は私にはない」という思い込み。

最初は本当に小さい痛みだったかもしれない。それを言ったら「大したことはない」と言われてしまったことがあったのかもしれない。

「大丈夫」という答えを期待されて、その期待にこたえ続けていたら、どんどん『痛み』が溜まっていってしまったのかな。

こんな大したことのない『痛み』は誰も見てくれない。もっと頑張らなくちゃ。もっともっと!!と「痛みは増えていく」

そんな痛みの塔のてっぺんにしがみついて泣いているのは誰でしょう?

♪ハンマーソングと痛みの塔 BUMP OF CHICKEN

ごめんなさい。またBUMPの話です。

この♪ハンマーソングと痛みの塔を聴いたときの衝撃は忘れられない。こういうこと…ある…!!と思った。

我慢、犠牲、取引を繰り返してしまうその心境…。もっと痛みを増やさないと「私のことを見てくれないんでしょ?」という気持ち。

歌詞はこちら≫≫♪ハンマーソングと痛みの塔

最初はこんな感じだったと思う。優しくされるには『痛み』を持っていなくてはならない。何かしら『可哀想な私』でなければその資格はない…と思ってしまったのは、きっとそんな経験があったんだろうね。

そのうち、一回捨てた痛みも拾い始めて、もっとエスカレートすると、『人の痛み』まで受け取り始める。

そうしないと「誰も見てくれない」ような気がしているから。

そうやって、『痛み』を麻痺させていく。『痛み』はなくてはいけないものに変わっていく。『痛みの塔』がどんどん高くなっていく。

そして誰にも手が届かないくらい高くなっていく。

そう…『孤独のてっぺん』に座る。

自分で溜め込んだ『痛み』だった。
誰からか受け取った『痛み』だった。

誰の手も届かない。降りる術もわからない。なんの音も聞こえない。そんな孤独のてっぺん。自分で選んだはずなのに、ここまで来ると怖くなる。

恐怖や不安を紛らわせるために『孤独の神に選ばれたんだ」と偉そうにしていないとどうすることもできない。心の中では助けを求めているけれど、もうそんなことは言えない。塔を崩すことも怖くてできない。

そんな時は、耳を傾けて欲しい。

あなたを助けたい人はいる。同じ高さまで降りてきてくれないとその声は聞こえない。

今まで生きてきた中で、大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言わなきゃいけなかったこともあったと思う.
助けを求めたのに、断られたこともあったと思う。

でも、それは過去のこと。なんどでも声を上げたら、その声に気づいてくれる人はかならずいる。

世界には72億人いる。その中で今まで会ってきた人は一体何人だ?その中であなたが頼った人は何人だった?

あなたを助けたい人はいる。「助けてください」と声をあげてもいいんじゃないかな。

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