夫婦関係

夫に感謝されたいと思っているけれど、言葉では言わないだろうな~

「それは旦那さんに感謝されているに決まっているよね」と言われた。

「私が今までしたことを、夫がなんとも思っていない」と言ったらそう言ってくれた人がいた。

「感謝しているに決まっているよ。ただあえて言わないだけだよ」と。

そこで「そうか、私は感謝されているのかぁ~それならいいや」と思えなかった。どうしても思えなかった。感謝されていると思えない。きっとヤツは私がしていることやしていたことを感謝なんてしていなくて、『当然のこと』と思っているに違いないと今も思っている。

言葉にすればそれが真実になるとは言えないけれど、『言葉にされた感謝』いうのはとてもパワーがある。

「ありがとう」というその一言で、すべてがキレイに昇華されることは絶対にある。

だから、私は口先だけのありがとうではなく、沸き起こる感謝があった時は、その人がどんな人であれ「ありがとう」と言う。

その「ありがとう」にはいろんな思いが詰まっているはずだから。きっとその心が伝わる。

夫の中にあるかもしれない言葉にならない思いを受け止めることは、今の私にはできないが、それをできるようにするにはどうするか…。

たぶんね、自分の中で沸きおこる感謝の想いを丁寧に感じて、それを言葉にすることを続けることなんじゃないかなと思う。

だから、夫がどうであれ、私は感謝の思いが湧きおこってきたら、恥ずかしいとか、負けた気がするとか、でもあっちは感謝していないとか、そんな思いは一旦横に置いて、全身全霊で感謝のオーラを発散していきたいと願う。

全ては自分軸で動く。夫に感謝されたいと思うこと自体『他人軸』ではないのだろうか?

介護する嫁の話

数年前に仲良くしていた方が、お舅さんの介護をすることになった。舅介護の先輩であった私に色々相談をしてきてくれたので、大いに自分の経験を話した。

数か月した頃には、もう夫婦仲は危うくなっていた。そう、介護は夫婦仲を危うくする。

彼女は「旦那が何もしない。なにもしないくせにイライラしていていやだ」と言っていた。

わかる…。自分も働いていて条件は一緒なはずなのに、なぜか『嫁』に負担がかかる。回りもそれを当然とし、ヨシとする傾向がある。

いや、私と彼女がそう思い込んでいただけかもしれない。

とにかく、彼女は介護に疲弊したのではなく、夫との関係に疲弊してしまった。

そして『別居』を考え始めた。舅の介護はするけれど、夫とは一緒にいたくないと言い出した。

わかる…。

そんないよいよ別居を申し出る!!と決心した時、舅さんはあっけなく天国に召された。

そしてお葬式の日…。喪主の挨拶をしたご主人が本当に最後の最後に…

「最後に妻に感謝をしたいと思います。仕事もしているのに毎週毎週お見舞いに行ってくれて、熱心に介護をしてくれてありがとう」

と、言ってくれたと涙ながらに話してくれた。私も一緒に泣いた。

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同じような話がもう一つ。

お姑さんとの関係がうまくいっていなかった。それを旦那に相談してもなにも助けれくれなかった。数年してそのお姑さんが介護が必要になった。

介護は8年続いた。

その間、その方は「介護が終わって、息子たちが成人したら絶対離婚する」と固く心に誓っていた。

お姑さんのお葬式のあと、ご主人が「話がある」と言って床の間に呼ばれた。

そして「今までありがとう」と頭を下げた。

その一言で、すべてが昇華した…という。離婚もせずにその後は夫婦仲良く暮らしているらしい。

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どちらの話も同じこと。思い詰めていても「ありがとう」の一言で救われることがある。

それまでやってきたことにすべて意味を持たせることができる。

そこまで心にストレートに響く言葉なんだと思う。

感謝の押し売り

感謝されたいからやっているわけではない。

感謝されたいからやっているのであればそれはきっと『犠牲』に近い。「お礼や感謝がないとやってられない」と思うのであれば、それはやめてもいいんじゃないかな?と思う。

私が舅の介護をしていた時、ポジティブモンスターの舅に言われたことがある。

「自分が好きになった人を育てた人を介護できるなんて感謝しかないだろ?」と。

目ん玉が飛び出るかと思った。すごい発想だな~と、ある意味感心した。自分でそれ言っちゃうんだ?と苦笑しかなかった。

でも、この考え方を私が発見したなら、それはいい感謝の方法だったかもしれないなと思う。

心を満たすには

今、「感謝」に飢えているのであれば、自分で自分を『感謝』で満たすしかできないんじゃないかなぁと思う。

「やってやった」とか「これだけしたんだから」という思いがあるとやっぱり「ありがとう」の言葉を聞けなれば辛いだけだろう。

『犠牲』や『取引』をしない、「感謝されなければやっていられない」と思うようなことはしない。心を穏やかに健やかに保つ秘訣だと思う。

私の貴重な8年間の介護生活は、中身はともかく「やりきった感」が半端なかった。

舅からは一度も感謝の言葉を聞いたことはなかったけれど、お葬式の時に多くの人に言われた。「お嫁さんに感謝しているっていつも言っていたよ」と。

本人から聞きたかったなぁ~。

感謝は「すべきもの」でもなければ「要求するもの」でもない。

ただ、そこにあるものなんだと思う。

感謝はしたかったらすればいい。

そして、差し出された感謝は素直に受け取ったらいいと思う。

きっと、夫も言葉ではなかったかもしれないけれど、私に感謝の伝えていたのかもしれない。独自の方法のわかりにくい表現で(笑)

私はもうちょっと『感謝を受けとる感度』を上げていけたらいいなと思う。

夫婦は鏡。多分お互いさまなんだろうね。

さて、夫に『感謝の手紙』でも書いてみるかな…。時間がある時じゃないと終わらないな…それは感謝が多すぎるのではなく…たぶん書き始めるのに時間を要しそうだ(笑)

夫婦問題を抱えている皆さま。お相手に『感謝の手紙』を書いてみたらいかがでしょうか?

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