1週間ほどの完全休養のせい(おかげ?)で、なんだかとても太ったようだ。
ズボンがキツイ…。そりゃそうだろうな。1週間「お腹が空いたな」と思う瞬間が一回もなく、常にお腹がいっぱいの状態。食べ過ぎだし、ほとんど運動もしていないから然るべき結果ということになる。
そんな自分を責めるか?といったら責めない(笑)
そんな自分もかわいい~と思う(ことにしている)
さて、太ってしまったので昔の話を思い出してみた。私はデブだと思い込んでいたあの頃のこと。
夫に色々拒否されているのは「私のせい」と思っていた頃。
夫に「だらしない体 笑」と何度も言われて怒ったり落ち込んだりしていた頃。
一念発起してダイエットして上手くいかなかったこと。
妄想ダイエットをしたらなかなか上手くいったこと。
起きていることはすべて正しい。
そう、あの一連のことがあって、今がある。
それでいいのだ。
○○だから愛されないなら…
「○○だから愛されない」と思い込まされたのはいつだったんだろうね?
私は可愛くないから
私はお金が無いから
私は家庭的じゃないから
私は何もできないから
私はデブだから
まぁ、愛されない理由を探すのは結構簡単だったりする。それを探し始めたらいつまででもできちゃうよね。
そもそも、そう思うようになったきっかけってなんだったんだろうね? 赤ちゃんなんてなんにもできなくても愛されているのにね?
そうなのよ。なんにもできなくても愛されるのよ。その存在だけで。
なのに、大人になると「愛されるのには条件がある」と思い込む。まぁそれはそうかもしれないけれど。
結婚した頃のような「痩せた春野」になれば、また夫はかまってくれるのか?と言ったら…そうじゃないかもね。
そう思いたい「私」がいるのだよ。なにか「ダメな理由」があって、だから「愛されない」と思いたい理由が。
それって投影っていうらしいよ
人は過去の経験から、今目の前で起きていることを判断する。そりゃそうだ。
経験から学ぶことは多い。大きい。成功体験があれば自信がつくし、失敗体験があれば先に進むのが怖くなる。
赤ちゃんでおぎゃーーーと生まれた瞬間から『経験』が積み重なっていく。それで、未来に進むための判断材料を増やしていく。
悪いことじゃない。むしろいいことなんだろう。
基本的には私たち個人の世界は狭い。世界には72億人もいるのに、出会ったたかだか数100人?くらいの人との体験が自分の世界のすべてになったりする。
きっと褒めてくれた人もいたはずなのに、なぜか批判されたことばかりに目が向く。
人間なんてそんな風にできている。みんなそうだ。
ネガティブパワーは、ポジティブパワーと圧倒的にしのぐ。そんな風に経験を積んでいく。
そうなると、目の前で起きていることを「過去に起きたこと」と照らし合わせて『理由』を探してしまう。
そして、結論として「だから私は愛されない」と思い込む。
そうすると「愛されないと思える状況」に向かっていく。そればかりに目を向ける。「愛されていない証拠」ばかり見つけようとする。
でも、本当に愛されていないのかな?もしかしたら今までの経験の中で強烈に「私はこの人から愛されていない!!」という経験があったのかな?
愛されたかった人から愛されなかった経験が、その後に防衛反応となって、自分を傷つけないために「愛されていない」と思い込もうとしたのかも?
現実はもっとニュートラルなものなんだよね。起きている事象は、事象でしかない。
誰かが言った言葉は同じでも、聞き手によって意味が180度変わる。
その奥にある感情は?
彼氏にフラれた
夫に無視される
「私が悪いからだ」と思う人もいれば思わない人もいる。
「やっぱり私は愛されていない」と落ち込む人もいれば、腹を立てる人もいる。
現実に起きている事象を見て、どうしてそう思うのか?を、その心をつくっているものはなんなのか?を見ていくと、心の本質が見えてくるのかもしれない。
その感情を一緒に探すのがカウンセリング。
私は長い時間をかけて、「夫に対するウラミの正体」を探してきた。
「だらしない体」と言われて、悲しいやら、腹が立つやらの心の正体はなんだったんだろう?って心に訊いてきた。
いろいろ掘り出されるものだよ。
だたのダイエットだったはずなのにね!
もし目の前に問題があるのであれば、きっとそれは自分の心を掘り下げるいいチャンスかも。
さて、また升秀夫様に脳内に登場していただいてボディメイクに励もうかな!
過去にばかり目を向けていると後悔ばかりするし
未来にばかり目を向けていると不安になる。
今この瞬間に集中するといいかもしれないね。
というわけで、腹筋やりまーす。