こんにちは、夫がお金をくれないのが不満です。
上のぼうずが1年生になってなんだかんだあり時短勤務がスタートした私に待っていたのは『給料の目減り』です。トホホ…ただ今絶賛赤字経営中の春野家。貯金がじわりじわりと減っていくの見るとお腹が痛くなります。
夫に
と申し上げたところ、この世の終わりみたい顔をして…
と言い出しました。まぁ慣れてきたといえば慣れきましたが、毎回「トホホ…」ですよ。
とは言え、最近の夫はムッとしたり、怒ったり、嫌味を言って来たりしなくなってきたのでわたしの気持ちはザワザワしなくなってきましたよ。
なぜ、ちょっと夫は進歩したのでしょう?
正直言ってはっきりとはわかりません。しいて言えばわたしが変わったのかもしれません。このヘビーな毎日をどうにかしたくて色々心理学の本を読んだり、DVに関する本を読んだり、それこそ『離婚』に関することを調べたりしているうちに色々見えて来たんですよね。
その中で一番は『夫は変わらない』ということを本当に認識したことだと思います。
あなたもちょっと「夫が変わるかも」と期待していませんか?はい、変わるかもしれません。でもそれは夫の問題で、あなたがどうこうできる問題じゃないんですよね。なにかとんでもないきっかけがあって変わるかもしれないという1%くらいの確率を信じてこのヘビーな毎日を送る覚悟がありますか?
手っ取り早いのはあなたが変わることです。気持ちの面でも状況も面でも…。
かさこじそうから見る夫婦の関係
小学2年のぼうず上の教科書に載っていた『かさこじぞう』のお話。ああ懐かしいなぁいいお話だったよなぁと思いながら音読を聞いていました。
だいたい小説にしても、絵本にしても、なんにしても、その人のその時に置かれている状況によって読み方も感じ方も感想も変わってきます。
今、夫にお金をもらっていないことが不満なわたしがこの『かさこじぞう』の話を聞いて感じたことが我ながら面白いなと思い、そして同時に「ああ、モラハラ夫を作ることってできるな」と思ったんですよね。
むしろ我がマネハラ夫を作り出したのはわたしかも??と思う節もあったわけですよ。
かさこじぞうあらすじ
ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちの手ぬぐいを被せ、何も持たずに帰宅した。おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、「それはよいことをした」と言い、モチが手に入らなかったことを責めなかった。
その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で何か重たい物が落ちたような音がする、そこで扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米俵やモチ・野菜・魚などの様々な食料・小判などの財宝が山と積まれていた。老夫婦は雪の降る中、手ぬぐいをかぶった1体の地蔵と笠をかぶった6体の地蔵が背を向けて去っていく様子を目撃した。この地蔵からの贈り物のおかげで、老夫婦は良い新年を迎えることができたという。
wikipediaより
はい、有名なお話ですね。いいおはなしです。貧乏していても心を清く保っていればいつかは報われるというお話です。
ここでね、わたしが気になるポイントは3つです
① そもそも年の瀬になるまでおじいさんはなにをやっていたのか?気づくスタートが遅い
② 今現在唯一の収入源である「笠」をただでやってしまって「それはよいことをしましたね」って言える?普通??
③ 最終的にはその徳によって得をとれたわけですが、それはなかなか信じられないよね?
という点。
この時点でもうさ、わたしダメだなと思うわけですよ!
”いいひと”じゃない。
※わたしはいいひとになりたいと思っておりまして、ドメインもhttps:iihitoninaritai.comなんですよ。
おばあさんは”さげまん”なのか、”あげまん”なのか
なつかしい言葉を使ってしまいました。”さげまん””あげまん”ご存知ですか?
まぁおとぎ話ですから、夫婦共働きだ、専業主婦だ、男女均等法だ~とか言えないシチュエーションではありますが、この『かさこじぞう』の最後のハッピーエンドをもたらしたのは、おじいさんの心清い行動と、おばあさんの太っ腹は言動にあったと思うんですよね。
もしわたしだったらという置き換え
正直言って、おじいさんも元々持って生まれた気質や性格、そして何よりも状況(家庭環境)があると思うんですよ。それは時代ではない。それは不変です。
この世は不公平のなにものでもありませんからね。
そこで、おじいさんがのし上がるか、それとも今の状況に満足するかはそれははっきり言っておじいさんの『選択』なんですよ。
でもね、妻はそういうわけにはいかない場合がある。出産もするし未だ子育ては女の仕事という風潮がありますからね。(でもそれも本人の選択ではあるのですが…)
じゃ、妻は自分の生活を向上させるためになにができるかということですよ。
ずばり、夫に対する応援ですね。
ここであげまんになるかさげまんになるかのキーポイントになるのは、言い方とどこまで『自分事』としてとらえることです。
ここで、『いいひとになれない』わたしがとってしまいそうな行動言動は?
おじいさんが正月用の餅も買えないと告白してきたとき
と、さげまん丸出しな言動をとること間違いない。そして心の中で「わたしがやったほうがうまく行くのでは?」と思っている。
よいことをしましたね
尊敬以外のなにものでもないこのセリフ!!
とか言っちゃう。
はい、ブッブー!!だめだよねぇ。これはさげまんの発言です!
PAY IT FOWARDをどこまで信じられるか?
最終的には「よいことをなさった」ので、お地蔵様からプレゼントが届くわけだが、これを狙って『よいこと』をなさっちゃあダメなんだよね。最初から見返りを期待しちゃいけないわけ。
これがなかなかむずかしいんだよねぇ。
この映画ご存知ですか?
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ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。
中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。
トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
Wikipediaより
いいお話です。一度観てください。
夫がお金を出さなくなったのは…
結婚当初は夫は生活費をくれていたんですよね~。本当は嫌だったのかもしれないけれど、借金もわたしが返したし、義父の介護もやっていたし、要は引け目があったのかなと思います。
そのうち、夫は介護のためにと称して仕事を辞め、転職。収入も下がり、介護うつのようになり、わたしも介護と子育てとフルタイムで働いて余裕がなかったから、夫に注意は0だったのでしょう。大人なんだからそれでいいと思っていたけど、やっぱり夫は一種のかまってちゃんだったような気がします…。
しかも余裕のない生活でいつもイライラしていたからなぁ~。
いろいろ反省するところがあり、そして夫がお金をくれなくなったのもまぁわからないでもないというか…。
夫婦なんだから時間をかけて歩み寄ってみますか…。
まとめ
よくわからないことをツラツラと書いてしまいましたが、要は夫婦というものはどちらがどうということではないんじゃないかな?と思うんですよね。
二人で同じ方向を向いて進んでいく。そこには同じ価値観や感覚がついてこなかったとしても根本的なところでは共通のものがある…みたいなね。
それはどちらからが命令したり、コントロールしたりするということではなく、やっぱり夫婦は同等であるべきで、共同経営者であるべきなんです。
こちらが歩み寄って真剣に話し合いをしようとしてもしてくれない場合はやはり、違う道に向かって一歩前進するべきかもしれませんねぇ。
オレオレ、ワタシワタシじゃなにも解決しませんから…。