感情をを感じるのが苦手…という話を立て続けに聞いている。自分が思っていることは外から入ってくるからね。ハイ、投影です。
私は感情を感じるのが苦手…ということはないけれど、たぶん精神が強いので感情を感じたとしてもなんとかやりくりしているのではないかな?と思う。うん?これが麻痺させているってこと?
まぁいいや。
感情って言葉で表せないことの方が多いと思う。クライアントさんに「その時どう感じました?」なんて訊きながら「これで的確に表現できたら文筆家になれるよな」と頭の隅っこで思っている。それでも、自分の感情を感じるために言葉にするのはとてもいいと思っている。
言葉で表せないお腹のあたりに押し寄せる『何か』を刺激するのは、私の場合『匂い』のことが多い。えもいわれぬあの感じ…。五感を刺激することは感情を呼び起こすのにきっと有効なんだろうな~と思う。
脳科学でもわかっていることらしい
匂いと記憶の関係は脳科学的にも証明されていて、他の五感に比べて匂いがダントツ記憶を呼び覚ますのだとか…
それを『ブルースト効果』というらしい。
少し専門的な話になりますが、香りは
鼻→嗅上皮→嗅細胞(嗅毛)→嗅球→大脳辺縁系
の順で脳へ到達します。
大脳辺縁系は食欲などの本能的な行動や、喜怒哀楽などの感情を司る所です。
嗅覚はこの大脳辺縁系と直接結びついており、これは五感の中で嗅覚だけが持つ特徴です。
つまり、香りは本能的な行動や感情に直接作用する、と言い換える事が出来ます。
プロモツール株式会社HPより引用
なるほどね~。だからアロマとか、お香とかってリラックスするのに使われたりするんだ。よくわかる。
ドライフラワーのバラの香り
庭のバラをドライフラワーにする。毎年するけれど今年はそれをリースにしてみた。それを今これを書いている机の後ろに飾った。
バラってご存知の通り香りがいい。ドライフラワーになるとあのバラの香りとは違う香りになるのだけれど、私はこの香りが好きらしい。フッと香ると「ほーーーーっ」となる。だから正しい使い方なのだと思う。
それと同時になんとなく気持ちが高揚するのもわかる。それがなぜなのかをさっき考えていた。そして思い出した。
匂いの記憶。
20歳を過ぎた頃になぜか突然色気づいて『香水』をつけてみようと、池袋にあるなんかキラキラしたお店に行った。パルコの中かなんかだったような気がする。
あまりおしゃれとは言い難い私だったが、売り場で色々試して買ったのが、ローズ系の香水だった。香水じゃなくてなんか言い方あったような気がするんだけど、今思い出せない。なんだっけ?そんな大げさな名前じゃなくて…まぁいいや。そんなに高いものじゃなかった。
その香りとこのドライフラワーの香りがとてもよく似ているのだと思う。だからその匂いの記憶に誘われて、『今ここにいる私』はあの頃の初めてのドキドキの感情を感じているのだろう。
今ここにドキドキがないのにも関わらず。
もっと言えば、『女』に目覚めた私のあの頃の感覚が呼び覚まされるのではないかな?と思う。これはいいと思う。
感情感覚を逆回転させるための『匂い』。きっといい効果をもたらすんだろうな。
ろうそくの消える匂いが好きではない
ろうそくが消える時の匂いなんてあまり嗅ぐことはない?いや、そうでもないか、バースデーケーキのろうそくが消える時は嗅ぐよね、あの匂い。
あの匂いをかぐと、胸がぎゅぅぅぅぅっとなるんだよね。私。とても嫌な気分というか、寂しい気分というが、なんとも言えない感情が湧いてくる。
それを考えていたら、自分が子どもの頃に感じていた記憶が呼び覚まされて、感情の蓋が開きそうになるということに最近気づいた。
私の家は教会で、教会の中で生まれ育った。そう、ろうそくと言えばクリスマス。クリスマスイブの夜になると、大勢の人が集まって礼拝を持つ。
変な言い方だけれど、教会にとっては、かき入れ時(イブには献金はないけど)、だから両親共に忙しい。そして必ず毎年ブレーカーが落ちてまっくらになる。電気が足りなくなるので、うっかり電子レンジなんか使っちゃうとブレーカーが落ちるのだ。そしてバタバタとブレーカーを上げて一言小言を言われたりする。あのバン!と真っ暗になる感覚も同時に思い出してドキッとする。
とにかく忙しい夜なのだ。気持ちもざわつく。それでも沢山の人が来てくれて、町中を讃美歌を歌いながら回ったりして楽しいことは楽しい。
そして、それが全部終わった後に残るのが、ろうそくの消えた後のあの匂い。
沢山の人がいたのにあっという間にいなくなって寂しい
両親がいそがしくてかまってもらえない
ちょっとイライラ感も充満している家
家族でケーキを囲むなんてことはありえない
なんとなく緊張感がある一年に一度の夜
と言う負の状況だけを思い起こされるのだと思う。それを感じちゃいけないって思っていたような気がする。恵まれた家庭で育っているのに、両親に対してそんな感情を持ってはいけないと自分に禁止していたのだと思う。
かまってもらっていない。
見てもらっていない。
そんなことを思っちゃいけないと思っていたから、こんな負の感情を呼び起こされる『ろうそくの匂い』がイヤだったんだろうな。いわゆる私の負の感情の象徴だったのだろうな。
でも、今は思う。負の感情に蓋をしなくていいということ。その蓋を開けたからといって両親を憎むことはなかったし、もし憎んだり恨みをもったとしてもそれは…まぁいいんじゃない?と思えるようになった。
匂いに呼び起こされる感情。そこに自分を癒す『何か』があるのかもね。