自分掘り

人生の選択は魂の選択でもあると思う。あらがえない何かが幸せを呼ぶ

何かが違う気がするけれど、その何かがわからない。

なにかやりたいことがある気がするけれど、なんだかわからない。

やりたいことをやろうとするけれど「できない理由」がどんどん溢れてくる。

ライフワークの見つけ方…を色々模索したけれど、なかなな腹落ちしない。

そんなことがある。多分、まずそこにたどり着いただけ100歩くらいの前進だと思う。

お弟子同期のみっちゃん。共感力半端ねぇ!!のカウンセラー×保健師さん。いっつもうんうんと大きくうなづいてくれる心強いお姉さま。

そんなみっちゃんのこの記事が素晴らしく心に響いたのでご紹介

まさに私も同じだった。『自分を幸せにしない選択』をしてきたと思う。でも、今はその『自分を幸せにしない選択』すらも、今を生きるために起きたことだったと思わざるを得ない『あらがえない何か」を感じることがある。

それが多分、ライフワークに見つけてもらう方法のひとつなんじゃないかな?と思っている。(自分でみつけるんじゃないよ。見つけてもらうのよ)

幸せ70%

たぶんそう、ずっと幸せ70%でいることがベストと思っていた。70%で感謝しなければならないとも思っていた。100%にするのが怖かった。そうなってしまったらどうなるのかも考えたこともなかったけど。

私の場合はずーーーーっと世間一般でいうところの『人の役に立つ仕事』が嫌だった。仕事なんて全部『人の役に立つ仕事』なんだけど、なんていうのかな…福祉的な仕事っていうのかな?教育とか、介護とか、なんかそういうやつ。ボランティアなんてもってのほかだった。

この心境はとても複雑なんだけれど、たぶん『やりたくなかった』のは『一番やりたいこと』だったんだろうと今は分かる。

何度もライフワークに呼ばれていた。いわゆる『calling』は何度もあった。でもずっとあらがって生きてきた。でもね、ほらもう諦める時がきたんだよね。

『誰かの話を聞く』『誰かの悩みを聞く』

昔からそうだった。突然人がやってきて話をして帰っていく。突然電話がかかってきて、長時間話を聞く。会社でふとした時に事務所に2人きりになると『プライベートな相談』が始まる。それをなんとも思っていないは大げさかもしれないけれど、「そんなもんだ」と思っていた。「みんなそんなもんだ」と。

「人の役になんて立ちたくない」とずっと思ってきた。
「お礼なんて言われたくない」と思ってきた。

「お前なんて大したことがないんだ。いい気になるなよ」
「人の役に立ちたいとか感謝されたいなんて思うこと自体間違っている」

この言葉がずっと耳元で聞こえる。呪縛だよね。

でも、まぁ正直気持ちはパラドックスだ。

人の役に立ちたくない=人の役に立ちたい
感謝されたくない=感謝されたい

同じことなんだろう。

で、結局こういうことだ。

ライフワークを生きると、不思議なことに自分の人生なのに、自分ではどうしようもない力で引っ張られることがよく起こります。
自分よりもずっと大きな力が働いているように感じるのです。

「ああ、自分では望んでいなかったけど、要するにこれをやれってことなんだな」と素直に受け入れ、その通りにしていくと、どんどん流れが生まれて来ます。

「自分には選択権もないのか(苦笑)」と感じ、「じゃあ、お任せコースでお願いします~」と神様に委ねられるようになります。

ライフワークは「Calling」と言われます。

「呼ばれるもの」です。

環境がそう指し示してくるのです。「これをやってね」って。
それを別の言い方をすれば「mission(使命)」です。

でも、それはむしろ「自分では気づかなかった自分の可能性に気付かされる瞬間」です。

「そっか、こっちに進んだ方がいいのか。確かにそうだなあ。その方が僕は幸せなんだよなあ」と思えるからです。

それらはすべて「感じる」ということ。
「直感を受け取る」ということ。

根本裕幸ブログより引用

 

もうあらがえないな…といい意味で諦めた時に、100%幸せの入り口が見えるのかもしれない。

あなたのライフワークはなんでしょう?
今、この瞬間『幸せ』ですか?
『そこそこの幸せ』じゃなくて『幸せ100%』ですか?

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