言ってしまったこと、やってしまったことを悔やんでも悔やみきれなくて、自分でやってしまったことだからこそ自分を責めまくってしまうことはある。
程度の差こそあれ、みんなあるだろう。それをどうとらえていくか、どう手放して昇華させていくかの方法もひとつじゃない。だからせめて、悩んだり、前向きになれなかったり、考えすぎてしまう『今』を責めないことからはじめてみたらいかがだろう?
あの時はそうするしかなかった。あの瞬間はそれがベストの選択だった。あの頃は誰かのために生きていて選択肢すらなかった。
まずはそこを受け入れることからかもしれない。
昼と夜
絶望と希望
生と死
これってセットなんだよね。「やまない雨はない」「明けない夜はない」「絶望の先に希望がある」月並みでよくある言い方だけど、だからこそきっと本当なんだと思う。
大丈夫。過去は変えられる。未来の自分が「あの過去があったから今私は幸せだ」と思えるように、今なにをしようか考えることから始めてみよう。
泣いたり怒ったりする時間は大切
自分がしてしまったにしても、何かをされたにしても悲しくて寂しいことがあったら感情を揺さぶられる。そんな辛い感情を感じたくないから、その感じたくない感情に蓋をしてしまう。その蓋は『怒り』
だから今、もしあなたが猛烈に怒っているならば、それはなにか他の感情を抑圧して蓋をするためなんだと思う。
その感情はなんだろうね?
怒りの感情は発散させよう。ためこむと具合悪くなるからね。
でも、誰かに向かって怒りを向けてしまうと、自分の罪悪感を募らせてしまう。だから『お恨み帳』。
怒りを出しきっちゃおう。
怒りの下を覗いてみたら違う感情が出てくると思う。
そうするしかなかった自分を許す
誰か大切な人を傷つけてしまった自分を責める。責め続けてもう未来が、希望がないような気がする。そう思っちゃうのは無理はない。
言ってしまったことはまた飲み込むわけにはいかないし、やってしまったことを巻き戻してなかったことにはできない。
だからと言って、自分を責め続けて、痛めつけ続けて、もうダメだと自分から泥の中に入っていくことはやめよう。
まずすることは「私はあの時そうするしかなかった。私は私を許します」と自分を許すことから。誰かを傷つけてしまったと思うのであれば、同時に自分も傷つけてしまっているんだら。
まずは自分を受容することから。そのままでいい。ありのままでいいんだと鏡の向こうの自分に言ってあげよう。
そうするしかなかったのはそこから何かが
『人生は自作自演』この言葉に私は救われた。目の前で起きている事象は自分が起こしているという考え方。
なぜか私は「そんなことない!」と思わなかった。「ああ、それですべて合点がいった」と思った。こんなことが起きて一体何を私はしたかったんだろう?と考えるきっかけになった。
過去に起きた出来事がすべて今を通過して、未来を作っている。
この『今』は常に分岐点であり、出発点でもある。右に行くか、左に行くか、北に行くか、東に行くか…それはすべて私が決められる。
現実的な進路の話でもあるし、心理的な話でもある。
この先ずっと、夫を恨んで復讐しながら生きていくこともできただろう。その選択をし続けることもできる。だけど私は『人生は自作自演』が腑に落ちたから、自分が心地よくなる方向を選ぶことにした。
今までの心の癖に邪魔されることもあるし、やっぱり自分が許せなくなることもあるし、あえていばらの道を選びたくなることもある。
もし、そっちを選んだとしてもそれは自分の選択なんだと思えるようになった。
ここまでくると、過去に起こったあれもこれも、自分の幸せのために起きていたんだと思えるようになってくる。
渦中にいる時はそんなこと考えることもできないし、未来なんて暗いものしかないっておもうけれども。
大丈夫、道は1本じゃない。道なんてあるようでない。360°すべて進める。
過去に起きたことは、後ろから未来への道を照らしてくれるから。
過去は変えられる。あなたの選択した道によって。