いや、今日はカウンセラー仲間の一水みゆきさんが面白い記事を書いていたので、私の振りかえり=大したことない話。
子どものトイレトレーニングに真摯に向き合っている姿がとても素敵♡ そしてそれを通して『信頼して待つ』という覚悟(?)を見せるところはもっと素敵♡♡
で、我が家のトイレトレーニングはちょっと『信頼して待つ』というよりは…「自主性に任せる」+「保育園がやってくれてありがたい」というそもそも私がなにも向き合わずおむつがとれたな…という、こんな変な事例もあるよというタメにもならない話。
長男の場合
第一子なので、そこそこ心配をし、比較したら大したこともないとは思うけれど、一応『トイレトレーニングらしき』ことはした。
でも、あの頃は介護もあったし、フルタイムで働いていたし、やることの取捨選択もしなきゃだったし、他人のウン○は義父のでもういっぱいだったし、保育園にお任せすることに…。そしてやっぱり人の目は気にするので、保育園の先生には「がんばっています」という体で対応していた。
いや、やっていたよ。声かけとかはしていたと思う。それでももれちゃうじゃない?それならいっそのこと家ではフルチンでもいいじゃないか?と思って、履かせないということもしたけれど、それは長男は嫌がっていたので、長くも続かなかった。
そうそう、おまるも子ども用便座も買わなかったので、長男も次男もよく便器に落ちていた(笑)
どうしようもない母だな~。
で、昼間は保育園に行っているので、たぶんスムーズだったんだと思う。先生がやってくれたから。保育園はありがたい以外のなにものでもない。
そもそも朝の7時から夜の7時まで保育園にいたんだから、私にできることはなにもなくない?
問題は夜。
年長になるまでおむつで寝てました!!おむつでしなくなってからパンツで寝るようになった。それでもたまにおねしょはしてたけどね~。
年長さんの時、おむつビッグサイズをもってフラフラ歩いていたら、お友だちに会って「えっ!長男くんまだおむつなの?」と言われた時に、その子のお母さんが慌てたように「違うわよ!弟くんのよ!!」って言ってたけど、いや、弟はビッグサイズじゃないよね~と心の中でウケてた。
そう、世の中的にはそんな年齢になっても「おむつをしていること」は隠すことなんだろうね。いわゆる『世間の常識』なんだろうね。
そうそう、面白長男にはおむつに関する面白エピソードがあった。
もうパンツになっていた頃、戦隊ものにはまっていた長男は家に帰るなり録画を見ていた。結構長い時間。
しばらくして見終わったらしく、なんかこそこそやっている。見たら使用済みのおむつを脱いでいる!!
なんでおむつ履いているの??と訊いたら…
「途中でトイレに行くのがやだったから」
コイツすげーーーーっと思った。それ、おむつの使い方として合ってる?合ってないよね?でも正直言って「こいつかしこいかも」と思ったのも否めない。
次男の場合
次男はもっとひどかった。母は最初からやる気がなく、保育園にお任せ。そして次男は沢山褒められて昼間はスムーズにパンツになった。
あまり記憶にもないから、スムーズだったんだろうね。
で、やっぱり夜。いつまでもおむつ。本人も母もやる気がない。失敗した時にシーツを洗うのも面倒だし、本人もおむつを嫌がる様子もないし…。
すると、年長さんになってある時に「おれ、今日からパンツで寝るわ」と申告された。
ええ?大丈夫なの?毎朝おむつにおしっこしちゃっているじゃない?パンツにしたらおねしょになっちゃうよ?
と言ったら…衝撃の一言
と…。
なんだそりゃ?ほんとか?と思ってパンツしたら…
ホントにしなかった。今まで「おむつだからおしっこてもいいや」と思ってたんだ…。
長男とは違った意味で「こいつすげぇ」と思った。
子どもには父性と母性が必要
私の敬愛する佐々木正美先生の著書『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』という本の中で…
子どもの育ちに必要な『母性』とは、そして「父性」とはなんなんでしょうか?(中略)一般には母性は母親から、父性は父親から与えられるものだと思われています。
しかし、男性とか女性とかに関係なく、私たち人間ひとりのなかには、程度の違いはあるものの母性的なものも父性的なものも存在しているのです。(中略)
「母性」とは、子どもをありのままに認めてあげる力。許容し、承認する力。つまり、少し極端な言い方とすると、無条件にわが子を愛することが母性的な愛情の本質です。
それに対して「父性」とは、規律や規則、約束や責任を子どもに教える力。いわゆる社会性を身につけさせることです。そしてそれに基づく愛情が父性的な愛情なのです。
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で、おむつの話。おむつをしたままで生活することはなんの問題もないと思うんだよね。大人になってもおむつしていたっていいんだから。でもさ、社会性ということで言ったら…ちょっと困るかもしれないよね。
社会性にとらわれすぎて「○○才までにオムツとらなきゃ!」ってカリカリしていると、『母性』的な愛情どころじゃなくなっちゃうからね。おしっこしたくらいで「あんたはダメだね!!」なんて否定しちゃいそうだし。
でもさ、この規律とかルールとかにとらわれていると、『母性』的なかかわりができなくなっちゃいそうだったんだよね。私。あの頃いろいろ忙しかったから。
だから、『父性』的なことで放棄できることは全て放棄することにしたわけ。大変ご面倒をおかけしますが、保育園や学校の先生に『父性』的なことはご指導いただくとして、私は『母性』的なことに集中しようと。『母性』的なことを与えすぎるということはないから。
『甘やかす』のではなく、『甘えさせる』。これ、重要。
元々『男性性』の強い私だから、『父性』も強いはず。ちょっとくらい『父性』を放棄したからって、大したことはないんだよね。
おむつ考でした!