その選択は「怖れ」からですか?それとも「愛」からですか?
と言う話を昨日書いた。
で、昨日は我が人生の師、長男に着目してみたけれど、今日は私自身に着目してみたいと思う。
生きるとは、選択の連続だ!!
小1次男がいまだにひらがなの読み書きがいまいちできない。ずっと気になってはいるが、本人が気にしていないような感じもあるので延ばし延ばしにしている。
けれど、やっぱり検査した方がいいのかとふっと思ったりもする。
LDとは…
学習障害(限局性学習症、LD)には、教育的な立場でのLD(Learning Disabilities)と医学的な立場でのLD(Learning Disorders)の2つの考え方があります。最近は健常児とは異なった学習アプローチをとるという点から、Learning Differences(学び方の違い)と呼ぶ人もいます。
で、このLD検査(試験?)を受けるということが、私にとって「恐れ」なのか「愛」なのかを考えてみた。
怖れかもしれない
恐れがないってことはない。
○ ひらがなができなかったら、就職もできないんじゃないか?
○ もしLDだとわかったら、本人が傷つくんじゃないかな?
○ 知らなくてもいいかもしれない。
○ 次男にそんな障害があるなんて信じたくない。
○ 私がそう思いたいだけなんじゃないかな。
○ もしくは、そう思いたくないだけかも。
○ 周りに知られたらバカにされるかも。
こんな考えが頭の中を埋め尽くす。検査をするかしないかの選択を「恐れ」から見ているってこと。
だから、試験を受ける、もしくは受けない。
愛かもしれない
愛だってもちろんある。
○ LDならば、早めに対応した方がいい
○ LDじゃなくても、ひらがなに拒否反応があるんだから対処方法が分かる
○ 本を読む楽しさを知ってほしい
○ LD検査はきっと面白い
○ 本人に自信が付くのならたぶん楽しい
○ 新しい出会いがありそう
○ 私にも新しい知識が入りそう
○ いずれにしても幸せになれるからそれでいい
だから、LD検査を受ける、もしくは受けない。
で、どうするのか?
結局、次男の意見はきいていない。
先生が言うように「本人が辛くなります」という状態になっていないから。
「おれ、ひらがなわかんないし…」みたいな卑屈なことも言わない。毎日喜び勇んで…ではないが、学校に行っている。学校に行ったら行ったで楽しいらしい。
1学期の通知表もまぁ普通…かな。
結局…私は「どっちでもいいかな」と思った。
でも…好奇心には勝てなかった。次男がLDであろうとなかろうと…このLD検査がどういうものなのか?そして、どうやって判断するのか、もしLDじゃなかったとしたら、文字に興味を持ってもらうためにはどういうアプローチがいいのか…という知識欲が勝ってしまった。
次男がものすごく嫌がったらそれはなしだけれど、とりあえず、担任の先生には…
「よろしくお願いしまーす♡」と軽い感じでお願いしてみた。
ありがたいことに、次男の通う小学校には特別学級があり、専門の先生がいる。
そんなに手間もかからないし、「恐れ」と「愛」の天秤は、圧倒的に「愛」が重かったらしい。
LDだろうとなかろうと、次男は幸せになれるからね。
握りしめて離せない『思い込み』はさっさと手放した方がいいかもしれない。それを手放さないと、次のステップに進むドアの鍵は受け取れない。
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