自分で言うのもなんだけど、私は罪悪感が強い…らしい。罪悪感が強いとどういうことをするかと言うと…
「こんな私が幸せになってはいけない」という呪いを自分にかけてしまう。そしてそれは潜在意識に刷り込まれて、わざわざ幸せじゃない道を選びに行く…という修行をしたくなる。
もちろんそれは潜在意識下なので、自分でそう望んでいるわけではない。
全ては自作自演と一度だまされたと思って考えてみてほしい。そうじゃなければすべて『被害者』として生きていくしかない。
こうなったのは…
旦那が悪い。
会社が悪い。
親が悪い。
世間が悪い。
自分が悪い。
という具合に。○○のせいと思っておけば、被害者になれるし、○○を責めることでなんとなく満足してしまっていることもある。
それで問題が解決するのか?
きっと解決されないんじゃないかな?
自分を幸せにしないようになったのは、きっと今までの経験からだとは思う。
きっとだれか愛する人を助けられなかったという思いから「こんな自分なんて不幸になればいいのに!」って思ったのかもね。
いずれにしても、問題解決をするときに『すべては自作自演』って考えると、結構するすると糸がほどけると思う。
夫がしつこく言ってくる
夫の指摘に過剰に反応するのは、自分も同じことを思っているからなんだろうな~と思いつつ、「しつこいんだよ!」と腹が立っている。
子どものあれこれに口を出しすぎると前から言われる。たしかに「早く靴下はけ」だの「ハンカチ持ったのか?」だの、別に言わなくていいことを言っているのは分かっている。言わなくてもやるだろう。それをしなくても私は困らないし、子どもたちが困るかどうかは知らない。遅刻するのは私じゃないし、怒られる(かは知らないけど)のも子ども本人だ。
それでも、目の前にいるから言ってしまうし、それが多少のコントロールだということもわかっている。
結論として、自分が子どもをコントロールしようとしていることくらいわかっているからいいだろう。と開き直っている。
何回も何回も何回もしつこい
なんだか知らないが、3日前くらいからこのネタが気に入っているらしく、何度も言ってくる。
「子どもに色々言い過ぎ。過保護。過干渉」ということを何度も言ってくる。
最初は「そうなんだよね~わかってんだけどさぁ」と笑う余裕があった。
でも、数が重なる度に、おでこの怒りマークが濃くなっていき…
「何度もしつこい!わかったって言ってるじゃないか。なんか過保護で過干渉だって責められてみたいだからもう言わないでほしい」と言ったところ、これまた最近の流行…
「でた、被害妄想ww」と言われた。
被害妄想…まぁそうかもね。今、私は被害者になりたくなったんだろう。なにか被害者になることでメリットがあると脳が認識したんだろうな。
かわいそうな私になりたい時だってあるよね~。(なんでもOKを出す練習中)
耳が痛いけれど…
師匠のこの記事…本当に耳が痛いんだよね。
今回のしつこい夫の話を書くと「かわいそうな私」「しつこい(悪い)夫」という構図ができるのだけれど、もしかしたら私が夫を…煽っているっていうこともあるんじゃないのかな…というかあったな…と思う今日この頃でございます。
別に「私が悪かった」なんて露ほども思わないけれど(ごめんなさい。あの時はああするしかなかったのです)、まぁ言い方とか、態度とか、考え方とかを違う選択をしてもよかったんだなと思うことはある。
なんてったって、夫を見下していたからね。そんなこと思っていたらそりゃそうだよね…って思う。夫に見下されているような気がしていたのは、私が見下していたからだ。
そんな思いが言葉の端々に出ていたんだろうなと思う。
夫婦は鏡。全ては自作自演。この言葉を訊いたときに本当に衝撃を受けたなぁと久しぶりに思い出した。
なんでこういうことを夫に言わせたんだろう?
全ては自作自演…ということは、私が夫にこの言葉を言わせているということになる。
なぜ私はこの言葉を夫に何度もしつこく言わせたのか?と考えてみる。
まずなんで夫はこんなことを言い始めたのか?そもそも夢に見たみたいなことを言っていたな…と思い出した。
仕事を辞めて、在宅している。在職中は私は一番最初に家を出ていて、長男は自分で朝の準備をして自分で時間を見て遅刻することなく登校していた。
長男に訊くと、夫はなにか言うこともすることもなく「ただそこにいるだけだ」と言っていた。それを聞いて私は「ほら、なんにもしていない」と思っていた。けれど、やっぱりそれは夫に頼っていたことは間違いなく、そこにひとり大人がいることはとても感謝だった。
今私が家にいて、子どもたちに「いってらっしゃい」と言う生活に幸せを感じ、このままがいいわ~って思っていることに、夫はもしかしたら「焦って」いるのかも?
無価値観??を募らせている??そういうこと?
役に立っているってことをお伝えするといいのかしら?
そして、私は私で、家にいることで子どものことが目に付いて、いろいろ指図することが気になっていた?心配ばかりして信頼できていないことを気にしていたのでは?
というところに落ち着いて来た。
それをズバリ、しかもしつこく言われて腹がたったんだろうな。
というわけでどっちもどっちということになる。
でも、やっぱり暴言も罵詈雑言も言われたくないし、言われたらいやだし、傷つくけれど、それを癒すには、自分を大切にして、愛しみ、自己承認していくしかないんだろうなぁ。
夫に対しても、なんでそんなに怖いのかな?と深堀りして見ていったら…
夫のやさしさ(子どもがガミガミ言われてるのを同情している)とか、人のことを考えている(私も気にしていることをやんわりと言う)とか、いろいろ素晴らしいところがある。
と考えたら、なんか私がいい気分になるかな。たぶん。
夫も色々痛みを抱えて、傷ついているんだろうな。たぶん。
「なんでも愛の方向からみていく」のも骨が折れる。