今年もやってきました!年に一度のイライラ案件…それは!!
こいのぼりの支柱立て!!
毎年、夫に頼む時になんとなく喧嘩口調になってしまう私…。
なんでいつもイヤイヤやるの?
私一人じゃできないこと知っているくせに。
やりたくないんだろうけどね!!
週末はずっとゲームしてんだから暇でしょ?
少しくらいやってくれてもいいじゃない!!
と、いつもイライラ…。
去年の様子はこんな感じ。

去年はこういう心境だったんだな…とブログってすごいね~。過去の自分に簡単に会いに行ける。
今年は去年より少し進化している自分に我ながら感動…。
私のイライラの始まりは、他人軸から来ていることがわかった。
こいのぼりを立てなければ!!という強迫観念がどこから来ているのかを、自分掘りしていったら意外な『本当の自分』が現れて笑った。
イライラは軽減され、その話を素直に夫にしてみたら夫は大喜びだった。
私は「別にこいのぼり出さなくてもいいか」と心から感じちゃったんだよね。
私は本当は「こいのぼりをあげたい」とウキウキしていたのではなく、「こいのぼりをあげねばならぬ」と脅迫的に思い込んでいただけだったんだ。
そう思う自分が許せなかった。これが一番大きい。
両親が大枚はたいて買ってくれたこいのぼり。
父はとても嬉しそうだった。
それに答えたい気持ちはもちろんあった。
でも、それがいつの間にか『義務感』に変わっちゃっていたんだな~と。
面白いもので、一回「こいのぼりはあげてもあげなくてもいいか」と思うと、頭の中を占めていた「~ねばならない」がふっと消えてなくなるので、明らかに楽になる。
ひとりで納得して、「~ねばならない」を手放したのではなく、夫にその話をしたことが本当の手放しになったのだろう。
不義理な自分を許す。
これに尽きる。
しょうがないよね~これが私なんだから~。
夫から言ってくれた
これから先は「手放せばこうなりますよ」ということが言いたいのではないということを先に言っておく。
3日前までは「え~ちょっと疲れているから(こいのぼりは)できない」と言われて、例年のごとくイラついていた。
でも、黒いはるちゃんを夫に晒したあとは『こいのぼり』のことはすっかり忘れていた。
そしたら、今日になって「あれ、出そうか」と夫から言ってきた。
「あれ…?とは?」と一瞬キョトンとしちゃったよね。
「ああ!こいのぼり!!出そう!出そう!!」と盛り上がった。
同じ「こいのぼりをあげる」という行為も、その動機が違えば感情も変わる。これを体感した。
『義務』ではなく『楽しみ』に変わった時、感情が変わるから行動や言動も変わる。
正しさの競争もしなければ、自分責めもない。
支柱を立てるというその作業すら結構楽しいものになった。
(ちょっと揉めたけど(笑))
そして驚いたことに、いつもだったらやるべきことをやったらさっさといなくなる夫だったけれど、こいのぼりを取り付けるところ(私一人でできる部分)まで、一緒にやってくれた。
一つ下の層の感情
正しさの競争をやめようとか、夫か見ている世界と私の見ている世界は違うとか、事実と真実とか…そういう見方はとても有効的だった。
そうやって自分の心を向き合って、自分は何を感じているのか、なにが嫌なのか、なにがうれしいのか、何を喜びと感じているかを考えながら生きることができるようになってきた。
少しずつ少しずつ…。
そうやって掘っていったからこそ、もう一つ下の層にある感情に気づくことができたんだよね。
自分の心のなのにわからないことが多すぎだ。
「誰かに○○と言われた」とか「あんなことを言われたせいだ」とか…過去の辛かった経験がいつまでも幽霊のように追いかけてきて、今の『私』を辛くさせているように感じる。
でもね、『過去の出来事』が『私」を辛くさせているのではなくて、その『過去の出来事』を通して自分自身を責め続けているから辛いんだよね。
もし今『辛いこと』があるのであれば、暇があったら「私が私を許せないこと」があるかぼんやり考えてみるのもいいんじゃないかな?
無事、こいのぼりはあがりました。

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