思い込み(観念)がない人はいないと思う。みんな長年生きてきて、それなりの経験をして、良くも悪くも『思い込み』を巡らせて、目の前に起きている事象に『真実』を見出し、それを『正しい』と思い込む。
全然、悪くない。普通のこと。別に責めてない。
でも、それが自分の幸せを邪魔しているとしたら?
少し疑ってもいいと思う。
それはやましいことがあるな
前に働いていた会社は、とてもファミリアな会社で、お昼はみな一斉に食堂に集まり、仕出し弁当なり、コンビニ弁当なり、愛妻弁当なりを一緒に食べる。
昨日の巨人戦がどうだたとか、昨日見たテレビがどうだったとか…おじさんたちが盛り上がる。
そんな話を聞くのもある意味面白かった。
ある時、私がこんな話をした。
「昨日、うちの夫が皿を洗ってくれた」
すると、おじさんのひとりがこう言った。
「なんかやらかしたんだな」
と。
旦那がお皿を洗う=何かをやらかしたことによる贖罪
という構図になっている。
完全なる思い込み…っていうか、あなたがそうなんだね。と思ってしまった。
自分がそうだから、世の男性も全員そうと思い込んでいる。
引け目がなければ、皿なんて洗わないのがあたり前。
聞く人が聞けば「ああ!そうだよね!!そうだと思う」」と思うし、
夫に対してなにか疑いがあれば、こういわれて「そうかもしれない、やっぱり浮気している?」とますます疑いを深めるかもしれない。
でも、果たしてそうだろうか?
「夫がめずらしく皿を洗った」という事象だけで、こんなにもいろんな真実が出て来る。
しかも、各個人の「思い込み」によって。
きっとそうだからやめておこう
私は外見に劣等コンプレックスがある。どうしても自分がブスであるという思いがぬぐいきれない。
そして、私はまぁまぁの高齢出産で、息子たちの同級生のお母さんの平均年齢からするとかなり年上である。はっきり言ってダントツおばさん。
実際に長男の同級生のおばあちゃんと同じ年でひっくり返った。
だから、授業参観に行くのが最初いやだった。っていうか、息子がいやなんじゃないかと思い込んでいた。
「あのおばあちゃん誰のおばあちゃん?」とか言われちゃったら、息子は肩身の狭い思いをするんじゃないか?とか。
ここで「きっと息子は嫌がるだろう」と思い込んでいたらどうなっていただろうな、と思う。
本気で思い込んでいたら、息子が「そんなことはない、来てほしい」と言ったとしても「息子は優しいから嘘をついている」と思ってしまうかもしれないよね?
「きっとそうだからやめておこう」という罠も日常に隠されている。
思い込みかもしれないなんてわかんないんだから、人生における選択はそういうことで選ばずに「自分が心地よいかどうか」という感情に訊く方がよろしい。
息子がいやがろうがなにしようが、そこに「愛」があるなら授業参観に行けばよろしい。
自分の世界が目の前に投影されている
誰かの価値観や思い込みによる評価や判定に驚くことがある。
そしてそれを世の中全体の評価だと思い込んでしまうこともある。
私は千葉に住んでいて、東京までも1時間以上かかる。
そして、一番近い駅までは徒歩15分かかる。
わたしはこの立地を大変気に入っていて、幸せだと思っている。
だけど、仲の良いお友だちに真剣に同情されたことがある。
「そんなところにしか住めないなんてかわいそう」と。
私は笑ってしまったけれど、心にほんの1㎜でもこの家に『不満』があったら、この言葉ととても傷つくだろうし、下手したら、「私は世の中の人全員からかわいそうっておもわれているのかも」とか思っちゃうかもね。
事実と真実は違う。
もし、なにか目の前に『問題』が起きたらそれはあなたの心の問題が投影されているだけだと思う。あなたにとっては問題だけど、隣の家の人にとってはそれは問題にならないことかもしれないからね。
だから『問題』が起きた時は、チャンスなんだと思う。
なんでその問題が目の前に出てきたんだろう?
そんな風に考えてみるのもいいかもね。
因みに「皿洗いの件」を聞いたとき、私はおもいっきり「夫がなにか悪さをしている」という意見に賛同した。きっとなにかあるに違いない!!女がいるのか? また借金をしたのか??と。
「皿洗いをした」というだけで、こんなにも疑われる夫は…まぁそういう人だったんだよね(笑)
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