子育て応援

長男がサッカーをやめたいと毎日泣くようになった 自分で選ぶということ

子どもが○○をやめたいと言い出して、やめてほしくないからどうにかならないかと思っていませんか?

そんなときは、とにかく子どもを信頼してみたらどうだろう? 心配なのはわかる。それでも小学生ともなれば自分で色々考えている。10年かそこら生きてきて、その生きてきた中の経験で物事を判断する。アドバイスできることはあるにしても、親が思い通りに本人を答えを誘導することでは問題は解決されない。とにかく、心配を信頼にかえることだ。

子どもは99%親の都合で生きている。ほとんど自由になることはない。親は子どもが心配だし、どうにかしてあげたいと思うし、苦労だってさせたくない。だからこそ一度始めたことをやめるなんて、これからの人生にとっていいことなんてないから、やめることをやめさせたいと願うは…まあわかる。

問題は、子どもにあるのではない。子どもの問題は子どもの問題。今それをあなたが問題だと思っているのならば、それはあなたの問題なの。(禅問答みたい?)

そんな時は、まずは子どもと自分の間にある境界線をイメージしてみること。どこまでが自分の領域で、どこからが子どもの領域なのか?その線引きを見ることで、いい感じの車間距離ならぬ、人間距離ができる。この人間距離は親子だけでなく、夫婦でも、他人でも誰にでも適用される。

子どもの今後が気になって仕方ないのであれば、どこからが自分の問題で、どこからが子どもの問題なのかを見極めていくことだ。

突然長男が泣き出した

自分を感情を表に出すことを躊躇せずにする長男が、グズグズ泣き出した。「サッカーに行くのがいやだ。リフティングができないから」と。

長男が入っているサッカーチームは熱心なクラブで、たぶんボランティアチームの割には強い。中にはクラブチームの試験に合格して辞めていく子も少なくない。

なので、求めらることも高く『試験』のようなものもある。で、長男はこの『リフティング』の『試験』なようなものが本当に恐怖なんだそうだ。

そして、このコロナ自粛の中、わかってはいたけれど全然練習しなかった長男は、その日が近づいてきて怖くなったというわけだ。

長男の気持ちを念入りに聞いたらこういうことだった。

リフティングは練習すればするほどうまくなるのはわかっているけど、それができない自分がイヤ。コーチは好きなんだけど、リフティングができないときにとても残念そうな顔をして、コーチの期待に答えられないダメな自分がやだ。チームメイトは特になんとも思っていないのは分かるけれど、全員で何回以上できないとランニングだから、オレが回数できないせいで、オレの後の仲間に責任を押しつけているようでそれも嫌だ

という。

なんかすごいな。すげーーー考えているし、たぶん自分の思っていることを的確に言語化している気がする。

まぁ、たぶん「これ以上自分が自分を嫌いになりたくないから辞めたい」ということなんだろう。

 

なにを言っても脳内変換されるから

もともとサッカーは長男がやりたいやりたい!!と言い出して、無視する私に熱心にプレゼンし、あげくの果てに学校でチーム名をきいてきて、すぐ電話してくれと言ってきて始めた。

だから、別に私は長男がサッカーをやってほしいと思っていなかったし、サッカー選手になってほしいとツユにも思っていないので、サッカーをやめることはどうということでもない。

ただ世のお母さんで思う人は結構多いと思うが、私が一番最初に思ったのは…

始めたことを途中で投げ出すのはいいことなのか?この先ちょっとでも壁にぶつかったらすぐ逃げるような人になってしまうのではないか?そんなでいいのか?

ということだった。

そこでこれをそのまま長男に伝えたら、長男にはどんな風に聞こえるのだろう?と考えてみた。人は聞きたいように聞くし、こちらが伝えたいようには伝わらない。

(これが次男だったら絶対実験できないけど、長男は自分の気持ちを言えるのでちょっと実験してみた)

思った通り長男はこう返してきた

それってやめるなってこと?

おお~やっぱりそうとるよね!あなたの為を思って、あなたの将来を思って言ったのに!!と世のお母さんは思うと思うけれど、子どもはやっぱり…

オレの願いは聞いてもらえない。オレはやめちゃいけないんだ。オレは自分で決めることはできないんだ。

と思っているかな~。

もともと長男は明るく面白いけど、ネガティブだからな~。そうとるよね~。っていうかたぶん私もそう思っている。そんなこと言ってない!!と言いたいところだけど、やっぱり思い通りにしたいと思っているし、辞めてほしくないと思っているのだろう。

 何を言っても長男は「それって辞めるなってこと?」と思ってしまうのだろう。

辞めることに罪悪感満載なんだから、そう思うのも無理はない。これ以上何をいっても長男の罪悪感の山を一緒に積み上げていくことになりそうなので、見守ることにした。

長男が自分で決めたらいいよ。ただ、サッカーがイヤなのか、チームがイヤなのか、リフティングがイヤなのかをはっきりさせた方がいい

とだけ助言してみた。

人が違ったように楽しそうになった

ふと思い出して泣く…という日々が続いていたが、ある時パッと明るい顔をしてこう言ってきた。

オレ!他のチームに入る!だいとかゆうまとかが入っているチームはリフティングが3回できればいい方なんだって!!テストもないし、練習も厳しくないし、だれかと比べられることもないんだって!!おれ、このチームに入ることにした!!

と元気言って、サッカーボールを持って出て行った。

へぇぇぇ~問題は…自分でわかったらしい。

上手い子と比べられるのがイヤだったのかな?

そして何度も言っていた。

オレはサッカーはうまくならなくてもいいんだ。楽しくやりたいだけなんだ。

と。「うまくなればもっと楽しくなるんだから」と誰かが言っていたこと思い出した。「試合に勝たないと面白くない」とか「競争するから、上手い子と比較するからやる気が出るんだ」という話も聞いたことがある。

まぁ人それぞれあるからね。自分で決めて入って、自分で決めてやめるんならそれでいいんじゃない?と思う。

どっちでもいいよ詐欺にならないように

正直言って、私はやめてほしくなかった。だけど子どもが決めるほうがいいとも思っていた。こういう思いが交錯すると、うっかりこれをやってしまう。

『どっちでもいいよ詐欺』である。

やめてもやめなくてもいいよ。自分で決めて

といいつつ、こちらが行って欲しい方に誘導するやつ。

じゃあやめる
本当にいいの?チームメイトと別れちゃうんだよ?コーチにもお世話になったのに
・・・・
きっとみんな残念がるよ?今まで一緒にがんばってきた仲間なのに。それに途中でやめちゃうなんてあんまりよくないと思うよ。それでもいいの?みんなにどう思われてもいいの?今まで練習してきたことが全部無駄になっちゃうんだよ?それでもいいならやめたらいいよ。
・・・・
ああ、お母さん「やめる」っていうのやだな。お父さんもなんていうかな~。それにあなたもあんなに楽しそうだったのになんでこんなことになっちゃたの?また行けばきっと楽しいと思うよ。
・・・・じゃ、もうちょっと続けてみる…

みたいな。どっちでもいいよと言っておきながら、やめない方に誘導(脅しともいう)していくことってよくある気がする。

誘導しておきながら「あなたが決めたのよ」という着地点。

でもね、これって子どもが嫌いとか、子どもをコントロールしたいとかいう思いじゃなくて、根底には「子どもが心配」「苦労させたくない」という愛があるんだよね。

愛の表現方法の違い…なんだよね~。ちょっとせつない。

で、結局

で、まぁ結局まだやめていない。っていうか練習が始まっていない。

それでも、長男は吹っ切れたようで、ここ1か月気づくと泣いていたのに、「次のチームに入って楽しいだけのサッカーをやる」ことを楽しみにしている。

そしてあんなに練習をしていなかったのに、元気よくサッカーボールを抱えて外に出ていくようになった。

どういう心理なのかはわからないけれど、私は元気な長男を見ている方が楽しいので、とりあえずこれで良しとする。

で、私は長男との境界線をひけていたのだろうか?「どっちでもいいよ詐欺」師にはなっていないだろうか?それはわからない。

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