自分掘りの回でございます。
低気圧が近づくと体が重くなってぐったりしてしまう性質。それでも会社員時代はどっこらしょと動かしていたが、在宅になった今は気づくと空を見つめている。そんな自分も悪くない。
さて、今日、夫が入金してくれた。私が仕事を辞めると宣言してしばらくして入金をしてくれるようになった。最初は金額は少なかった。月2万とか。それでも10年以上0円だったのでうれしかった。
今は贅沢はできないけれど生活ができる金額を入金してくれる。
最初は「ありがとう」と柄にもなくちょっとかわいく言ってしまって自分で自分を「けっ」と思ったのも覚えている。
「夫がお金をくれないんです」これが長年の悩みだった。でも、心理学を学んだり、お金について学んだりしているうちに気がついた。
「私が夫から受け取ることを拒否していたのだ」と。お金だけでなく、なにもかも。信頼していなかった。尊敬も尊重もしていなかった。
どっちが先だったかもうわからない。本当にドラマみたいな言い方だけれど、どこかで歯車の1本が折れたのだろう。結婚する前だったのか、後だったのか…?それすらもわからない。
こんなこと言ったらなんだが、もしかしたら誰と結婚してもそうなっていたような気がする。
私はそういう人を選んで、そういう人に仕立て上げていたような気がする。
私はなぜああだったんだろう?
さかのぼれば、やっぱり義父が脳梗塞で倒れて介護が始まってからこうなったんだろう。それまでは、夫のお給料で生活をし、私のお給料は全部貯金していた。
その時の夫の仕事は激務で、毎日のように日付変更線を超えての帰宅だった。ほとんど会話はなく、私は話ができる時はさんざん夫に
と食ってかかっていた。夫は何を言うわけでもなかった。
ここで私の罪悪感ポイントが1上がった。そして夫にも罪悪感を植え付けた。
介護をするための家を購入するときになって、夫が言った「オレ、転職したばかりだからローン組めない」
この言葉を私は「オレ、金払うつもりないから」と言ったように聞こえた。そうは言わなかったが、私はこう思ってしまった。
自分の親を介護するために家を買おうってなったのになんだその言い草は。オレの意志じゃなくはるちゃんが欲しがったんだろうとでも言いたいのか?そっちがその気なら家の名義は私一人にする。
そんなことを思う私の罪悪感ポイントは3上がった。そして夫にも罪悪感を植え付けた。
そして、夫は介護うつのようになっていった。これで家に金を入れろを言ったら、自由にお金が使えなくなったらもっとおかしくなるかも…という恐怖にかられたわたしは「生活費くれ」と言えなくなった。そして夫も出さなくなった。
罪悪感ポイントはどんどん上がる一方だ。そして夫の罪悪感も上がる一方だったのだろう。
夫を信頼できない。頼らない。ひとりで何とかしていく。
そうさせたのは夫だと言い聞かせていた。私は最大限の努力をした。これ以上のことはできない。介護だって頑張った。それには後悔はない。でも、でも、でも!!!
そうやって、夫を責めて、夫を頼れない自分を責めていたんだろう。
きっとあの頃やさしいカウンセラーに相談していたらこう言ってくれたと思う。
「それもやっぱりご主人を想ってのことですよね?心配させたくなかった。辛い思いをさせたくなかったってことですよ。もうがんばらなくていいですよ。頼りましょう。大丈夫。ご主人だけでなく、誰かに助けてくださいと声をあげてください。受け入れてくれます。だからあなたも受け入れましょう。春野さんは愛で溢れていますよ~」
ってね。
お互いを分かっていると勘違いしていた
きっと夫はこう思っている…と思っているのは私の勝手な思い込みだ。
例えば「オレは転職したばかりだからローンは払えない」と言われた時は、過去の経験が投影された。夫は結婚前借金が100万以上あって、それを私が返してしまったという過去がある。それが投影されて…「ほらやっぱり私が払わなきゃならないんでしょ!」と思い込んだんだろう。
そうやってすれ違っていく。
夫が何を思っているのなんて正直わからない。特に夫はこちらの話をきかないし、何を質問してもなんとなく頓珍漢な答えが返ってくる。
意志の疎通ができないと思っていたけれど、たぶん見えている世界が違うのだ。それを同じ世界を見ていると勘違いしていたのだ。
彼には彼の世界がある。私には私の世界がある。
それを尊重することをした方が…世界は平和だ。
私は私で幸せなんだ
なんで私ばっかり…と思っていた。
私ばっかり子どもの面倒を見て
私ばっかり飲みにも行けなくて
私ばっかり介護して
私ばっかりお金出して
私ばっかり自由時間がなくて
私ばっかり美容院にも行けなくて
私ばっかり…
犠牲だ。犠牲を払っていたってことだ。夫に罪悪感を植え続ける行為。やっていることが喜びじゃなかった。子育ては喜びのはずだったのに。夫に対する復讐のためにすべて犠牲を払っている気になって『正当化』しようとしていたのだ。
そう、『心の癖』だな。「こうしなきゃいけない」「こうするもんだ」「誰にも頼っちゃいけない」「自分でやらなきゃいけない」「我慢するもんだ」「どうせ私なんか」等々…。
全部手放して、誰かに頼ればよかったのだ。すべてゆだねればよかったのだ。
そうやって、誰かに頼るようにしてきたけれど、どうしても最後まで夫に頼れなかった。頼れない過去があった。信用も信頼もできない過去があった。
「あの時はそうするしかなかったよね」とあの頃の自分を労った。がんばったよ。もういいよ。そんなに犠牲を払わなくても、我慢しなくても、大丈夫だよと心の癖を直していった。
どんなであろうと私は私で幸せなんだから。
*********
今日の夫からの入金を見て、私はこう思った「夫、大丈夫かな。お金あるかな?また借金しないかな?お金ある?って訊いてみようかな?こんなに入れなくても大丈夫だよって言おうかな?」と。
ああ、きっと最初はこの感情だったんだな。信頼していないわけじゃない。でも…慣れない自分がいる。
がんばってこう言おう「こんなに沢山ありがとう!!とっても助かる。あなたのおかけで毎日ご機嫌に暮らせている。あの頃と違って」
言えるかな…負けた気がするけど…(笑) 負けるが花だね。