いつでも闘っていた私もだいぶ丸くなったもんだ。それもこれも色々な人に話を聴いてもらったからだな~。感謝だな~と感慨にふけっていることは間違いないのだが、今朝、久しぶりに夫に対して…
バカなんじゃないの?モードが発動した!!
この心臓がドクっとする感覚も懐かしい。そして発動した後に「おっ!久しぶりの感覚」とちょっと引いた目線で見ることもできて、結局自分で笑ってしまった。
そしていつもの夫の台詞を先に言ってみた。
「また否定されたっていうんでしょ?」と。夫は「へへっ」と笑った。私も笑った。
そして「いつもブログのネタをありがとう」と言ったら、また夫は「へへっ」と笑っていた。
夫がモラハラだとか、宇宙人だとか、なんだかんだとディスっているけれど、結局はまぁこういうことだ。
正しさの競争。私の常識と違うことをしたり言ったりする。私自身を否定されたような気になる。夫が常識のない人のように見える。逆に自分が常識がないのかと疑ったりする。夫は『あたりまえ』ができない人…私を分かってくれない人…そんな思いにかられて…怒る。
こちらの常識を押しつけることと一緒だよね。生きてきた環境も常識も世界も違うのに、全部一緒じゃないと「私を否定した」を思ってしまう。
夫婦は鏡。
夫をバカにしていると言うことは、自分をバカにしているということ。
相手がどうであれ「あなたはそう思うのね」という線引き。
「私は○○だから、○○だと思うんだけど、あなたはどうする?」ということをはっきり言う。コントロールではなく。
お互いの思いを落とし込んでいく。
共感も協調もできないことだったとしても、尊敬できなくても、その考えは尊重する。
むずかしい。長い時間をかけてやっていくしかないんだろうね。
正しさは世界共通ではない
なんでも争いの最初は『正しさ』の主張なんじゃないかな?と思う。世界規模のことも、幼稚園児の可愛らしい喧嘩も。
私が正しい。
あなたが間違っている。
そう思いたいよね。そう思っていることをやめる必要もない気がするんだけれど、それを大きな声で主張して、相手を変えさせようとするから戦いが起きるんだと思う。
特に夫婦はどうしても「同じように行動しなくてはならない」という概念が植え付けられていることが多いから、そうならないと「どっちが正しいか」という競争が起きちゃうよね。
留学時代になぜかとても腹の立った態度があった。
それはまだ大学じゃなくて留学生用の語学学校に通っていた時のこと。
どういう流れだったのかは忘れたけれど、お風呂の文化の話になって「日本では湯舟にお湯をためてそれに入ります。家族全員同じお湯に入ります」と説明した時に、スペイン人の男の子が大きな声で「キタネェ!!」と叫び、ものすごく嫌な顔をした。その後もいろんな人に「日本人は汚いことをする」ということを言って回っていた。
それを見て私はとても腹立たしかった。
まぁ説明するまでもないけれど、国が違えば、文化も違う。確かによく考えてみたら衛生的ではないかもしれない。そう思うのは彼の都合だ。
そこに反応して「バカなんじゃないの?」と思うこと自体…ほら…そういうことだ。
同じ日本人だからと言って、同じ年代だからと言って、好意を持った相手だからといって、夫婦だからといって、家族だからといって…常識を完全一致することはできない。
そんな大勢の人たちと生きていく上で、必要以上の『正しさの競争』をして誰が喜ぶのだろう?
もし「正しさの競争」で勝つことに執着して、そして勝ったことに喜びを感じている人がいたとしても、それは幸せを呼んでいるのだろうか?
おっと、「正しさの競争」をしないことが『正しい』と主張している気がしてきたけれど、これは私の考えであるから、今この記事を読んでいるあなたはどう考えますか?
私はこう考えるけれども、あなたがどんな考えを持っていたとしても私はそれを尊重する。
というわけで、うっかり「バカなんじゃないの?」と思ってしまったけれど、夫のこの意見…
突っ込みどころ満載のご意見ですが(笑)
そ、そ、尊重します!!