夫婦関係

感謝できるできないってどこが違うのか考えてみた。

感謝できることに感謝しましょう~と最近よく言っている気がする。

それと同時に「感謝ってすべきことじゃないよね」とも言っている。

感謝しましょう!って言われると「そうか感謝しなきゃいけないんだ」と思って、どんなに嫌なことをされても言われても「そんなこと言ってくれてありがとう」みたいに思わなきゃいけないの?と暗澹とした気分になったりする。

「感謝できない自分はダメだ」みたいにね。

別にダメじゃないよね。感謝できないもんはできないからね。

なんでもな「するべき」とか「しなきゃいけない」って縛るから辛くなる気がするんだよね~。

でもやっぱり「自然に感謝が湧き上がる人」になりたいなぁ~と思う。そんな人ってどんな人なんだろう?と思うと…

自分で自分を喜ばせることができる人
自分の好きなことを貫いている人
自分が気持ちがいいと思うことをできている人

だと思う。

それって、誰かにしてもらうわけじゃなくて、自分でできることだよね。要は自分軸でものを考えている人なんだと思う。

感謝しなきゃ!と思うってことは他人軸なんだな。

大幅な電車の遅延で…

だいぶ前の話なんだけれど、私が通勤していた電車で大幅な遅延があって、ラッシュ時ということもあって大混乱になったことがあった。

なんか、いろんな線に影響があったんだったと思う。

私も長い時間をかけて会社に辿り着いた。そんな私は全体的に「なんとも思わない」人だ。電車が遅れたこともなんとも思わなかったし、誰かにどうのという感情も湧き起らなかった。

『電車が遅延した』それだけ。

とある人が電車が遅延したことにとても文句を言っていた。

原因を作った人だったり、対応しきれなかったJRや、その職員に対してだったり、電車の中のマナーの悪い人に対してだったり、混んでいる電車に対してだったり…とにかく自分かこんな目に会うのは理不尽であり、『かわいそうな私』感が半端なかった。

感謝どころか「世界で一番の被害者の私」のレベルで驚いた。とても辛そうだなと思った。

一方、こんな投稿がSNSにあった。

こんな大規模な遅延があると、今まで自分が多くの人に助けられて日常の生活が送れていたということに気がつくよね。時間通りに電車を動かしてくれて、行きたいところに運んでくれていたJRにも感謝だし、自分が遅れてしまって迷惑をかけてしまった相手も「いいよ」って言ってくれて感謝しかない。日常に感謝できる機会を与えてくれたんだなぁとしみじみ思う。

みたいな投稿。実際知り合いの人だったんだけれど、これも違う意味で驚いた。

私と言えば、文句も感謝もなかったんだけど(苦笑)

同じ事象に対するこの感覚の違いっていったいどこから来るのだろうね。

無理に感謝するということは

正直言って、SNSの投稿者さんのように『感謝』できたらそんなにいいことはない。そうしたいとは思う。だからと言って、そんなことも思っていないのに「でも感謝ですよね?」と感謝の強要をされると、困惑するんじゃないかな?と思う。

そう思えない自分はダメみたいに感じる。

だからね、無理に感謝しないほうがいいと思うんだよね。それよりも「そう思えない自分はなぜだろう?」と考えるのが先で、もっといえば「感謝できない自分」をまず認めることからなんじゃないかな?と思っている。

感謝できないということは、そして「本当は感謝した方がいい」ということがわかっているということは、感謝したくない理由があるはずなんだよね。

例えば、私は夫に感謝できない。(ごめんなさい)

確かに色々してもらっていることは分かっている。ゴミも出してくれるし、ゴミもだしてくれるし、ゴミもだしてくれる。(今は私がやっているけれど共働きだったときは唯一やってくれた家事だった)

でも、それすらも絞り出した感謝だったんだよね。

感謝できない理由は…「私ばっかり」という感覚だ。

私ばっかり我慢している
私ばっかりやっている
私ばっかり損している

そんな思いだよね。そんな思いを抱えていたら、感謝なんてできないよ。

そもそもなんで私ばっかりって思うんだろうね~。

がんばっているから
無理しているから
我慢しているから

そして、頑張らない方法も、無理しない方法も、我慢しない方法も知らないから。

方法論をいくら言っても「でも、できない」っていう返事があるだけ(笑)だって相手がいることだからね。

育児を手伝ってほしくても、夫は忙しく、頼んでも断ってくるから、私がやるしかない。

誰かに頼んだら? 断られても夫に頼ったら? お金かけてもいいじゃない?

という『方法論』を言われたって、きっと「でも!」という返事あるだけ。「でも、できない」

だから「できないはできないでいいんじゃない?」できない自分にまずはOKを出していく。

でさ、視点を変える。とにかく自分を喜ばせることをする。

って、考えてみる。「でも時間がない。子どもがまだ小さいから好きなことも、自分の時間も取れない」

そういうこと。たいそうなことじゃなくていいと思ってみる。

自分が気持ちいいと思うことをほんの少しでもやる。これが『自分を大切にする」ことの第一歩だと思う。

で、私は『雑草を抜く時の根っこがぶちぶちっと切れるあの感触がとっても気持ちがいい』『釣りでアタリがあった時のビビビビっという生きている!っていう感触が気持ちがいい」という変態チックな「気持ちよさ」を追及している。

今は釣りには行かれないけれど、自分が気持ちがよいと思うことの根本を見つけると、代用品が見つかると思うんだよね。

それじゃなくてもよかった、みたいな。

私の場合は「生きている!」という感触(怖いことを言えば、その生きている!と感じた後にすぐにその生が絶たれるという感覚がセットなんだと思う)を今いるこの環境で見つけることかもね。

私は今生きている。それだけは感謝できる。生きているという感覚をとにかく感じることからだ。

あなたも、一番気持ちがいいと思うことを追及してみませんか? それは相手がいなきゃできないこと…だけじゃないはず。

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