夫から頼まれごとをして、それを希望通りに叶えられないと自分にがっかりすることない?
そんな時は、上手くやらなきゃ、ちゃんとしなきゃ、ダメな自分はだめだと思うことをとりあえず横におく。そして出来なかったとしても、それはそれでOKと自分を許すこと。自分に甘く、緩くすること。
頼まれたことを希望通りにできなかったときに、あからさまに怒鳴られたり、不機嫌になられたり、舌打ちされたりすると、気分がどーーーーーんと下がる。怒りだったり、情けなさだったり、寂しだったり、まぁなんだりかんだりの感情。
まずは、夫がなんでそんなことを思い、言うのかを検証すること。それをするためには事象を俯瞰してみること。ちょっと一歩下がってみると、夫のことも自分のこともすこし冷静に見ることができる。
期待に答えられない自分を責めることがあるのなら、事象を事象としてみて、自分のハードルを下げること。期待にこたえたかどうかを判断をするのは相手であって、それはこちらにはどうすることもできないから、ベストを尽くせばそれでよし!と思うことにする。
なぜ夫は頼んでくるのか?
そもそも、夫はなぜ頼みごとをしてくるのか?と思う。私の話。
私は「そんなこと自分でやりなよ」と思っている。「なんで私がやんなきゃなんないの?」とも思う。
そうですね。これは自分自身に言っている言葉ですね。
私が「誰にも頼ってはいけない。自分でやらなければならない」と思からこそ、相手にそれをやられると腹が立ったり、やりたくなかったりするわけ。特に近しい人だと距離感もわからないくなっているから、ますますイライラする。
今日の朝、夫が「ウイニングイレブンをやっておいて」と言う。我が愛する夫はちょっと会話が乏しいので、こういういい方になるが、調査すると要はこう言うことだった。
ウイニングイレブンというサッカーゲームはお金を稼ぐゲームでもあり、ただ試合数をこなせばお金だけは入ってくるので、自動で試合を進めてほしい。特に操作はいらない。
ということ。なんかよくわからないが、
「○を押せば自動で始まるからなにもしなくていい」
という。それくらいだったら別にやってあげてもいいかと思った私は了承し、夫が出かけた後に、試合が終わっていたので○を押してみた。すると、自動では始まらず、「選手を選んでください」だとか「○○選手の契約更新です。更新しますか?」とかなんとか色々出てきて、結局一番最初の画面に戻り、試合を選択するみたいな画面になってどの試合を選んでいいかわからない。
そう、ぜんぜん簡単ではない。私にとっては。
そして、もちろん空耳だけれど…夫の舌打ちが聞こえた。
我が愛する夫はこれで声を荒げることはないが、思い通りに私がやらないと舌打ちをする。
これが結構来るのだ。心に響くのだ。
でも、それはなぜか?生死が関わっていることでもなく、たかだかゲームの話で、こちらには何の責任もない。なのに舌打ちをされただけでとても悲しくなり、腹が立つ。
そう、自分が何の役にも立たないと思い込んでいるから、こういう小さいことでもショックをうけるってこと。
「やっぱり私は役に立っていないのだ」と。
頼まれたことをできない自分をどう感じるか?
大したことはない。頼まれてやってあげようとベストを尽くしたけれど、相手の思い通りにいかなかった。自分もできると思ったのにできなかった。
それが「私はダメだ」と思ってしまう。
相手の思いをかなえてあげたい。と思うことはとてもいいことだと思う。
でもそれが、自分軸なのか、他人軸なのか? 愛から出ている行為なのか?犠牲なのか? やらなきゃいけないと思っているだけなのか?恐れからか?等々…どこに自分の感情が反応しているのかってことを見ていく。
で、ゲームの話。
できなかった。おそらく夫は舌打ちをするだろう。でもそれは夫の都合であり、私はできる限りのことをしたから、もうそれでいいのだ。
そこで、なんだかんだとできなかった理由を並べたり、逆ギレしたりはしなくていい。もしそういう感情がわき起こってくるのであれば、罪悪感からだろう。
やってあげたかったのにできなかった、だからやっぱりここにいてはいけないという無価値観かもしれない。
そう思いたい『今まで』があったんだろうな~と漠然と考える。あくまで漠然と。
でもやっぱり、私は今まで愛されていたし、ここにいていいんだよなという証拠を探す。
ほら、やっぱりあったと思う。そんな一連の流れ。
舌打ちはただの音でしかない。そこにどんな意味合いを持たせるのはは自分次第。舌打ちに悪い意味を持たせてしまう何かがあったというだけ。それだけ。
自分を癒すということ
さて、そんな風に始まった今日。できなかったことを残念に思いながら、夫が帰ってきて舌打ちされたらヤダなと思いつつ、自分で自分を悦ばせることに…。
さて、なにをするか…。
ドーナツを食べよう。
そうだ、昨日セミナーでいただいたお花をドライフラワーにする準備をしよう。
そうやって、とりあえず自分の時間を持とう。
誰も責めない、自分も責めない。過去に引きずられ、未来に不安を持つのではなく、今を楽しめ。ってことだな。