去年他界した実父の遺稿集がようやく出版されることになって、一安心。
父が亡くなって悲しかったということはあるけれど、そこまで悲嘆に暮れるということはなかった。高齢であったし、ガンの闘病も数年に渡っていたということもあり、覚悟というか準備が出来ていたのだろうとは思う。
死生観というものは人それぞれで、誰かに押し付けられるものではないけれど、それでもやっぱり気持ちが穏やかになれるような納得感があったらいいなと思う。
さて、今日はココロノマルシェに寄せられたご相談にお答えしました。
私は身内や身近な人を自死で亡くしており、報道で芸能人の自死を耳にすると、
涙したり引きこもったりしてしまいます。
お一人お一人について悲しがっていたら体がもたないし、
去って行かれた方もそれを望んでいないと思うのですが、どうしたらよいでしょうか?
(Kocoさんよりご相談)
Kocoさん
ご相談をお寄せいただいてありがとうございます。
教会の子の山本春野が回答いたします。
最近は世界が不安定のせいか、悲しいニュースを耳にすることが多かったような気がします。心を揺さぶれられた人も多かったんじゃないかなとも思っています。
事実私の周りでも、ショックを受けたとか、他人事じゃないと思ったとか、私自身も身近なところで悲しいことがありました。
そんな時にKocoさんのようにとても響いてしまう方と、そうでもない方がいらっしゃるのは間違いないですよね。
いわゆる死生観というものは本当にいろいろあって、どれが正解と言うことはありません。ただ、『死』に対する何とも言えない感覚は人間誰しも持っていて、そして人間しか感じることできない素敵なことだと私は思うのです。
お墓を作るのは人だけだと聞いたことがあります。
死とはなんなのか?という疑問の歴史は、人の歴史です。
そうやって宗教が生まれたとも言えます。答えがわからない疑問です。
それでも人は納得できる答えが欲しい。そうやって『概念』だけでも、とにかく納得させたいと、人の歴史を同じ長さだけ『死』について考え続けてきました。
考えないという選択肢もあります。死んだらもう終わり!!という納得の仕方もあるでしょう。
でも、Kocoさんはそう割り切れないんだと思います。割り切っちゃいけないと思っているのだと思います。
特に『自死』や『突然死』という予期せぬ死が目の前に起きた時、人はだれでも「なぜ?」と思うでしょう。
そして次に思うのが「私に何ができたのではないか」という思いです。「心残り」ですね。
これが悲嘆を生むと私は思っています。
『心残り』を解消できないというのが、苦しみや悲嘆につながっています。
それを解消する相手がいないからですよね。
でも、本当にそうでしょうか?
ここからはどうしでも私の死生観になってしまいます。こう思え!というわけではなく、こういう考え方もありますよという参考程度に訊いてもらえればと思います。
テレビかなんかで、キリスト教の結婚式で神父様なり牧師なりが
「永遠の愛を誓いますか?」というシーンがあります。
教会の子である私は、教会でこう言う牧師を見たことがありません。
私の知る教会では
「死が二人を分かつときまで」という言い方をします。
永遠って、死んだ後も続くってことです。
キリスト教のお葬式では
「肉体が滅んでも」という言い方をします。
そう、体がなくなるだけという考え方です。
ネイティブアメリカンのドゥワミッシュ族の言葉で
『死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ』
という言葉があります。
なんだかスピリチュアルな感じになってきましたが、はっきり言って死んだらどうなるかは誰もわかりません。すべて想像でしかありません。
『自死』の場合は「自分で選んだ死」ということになります。世界を切り替えたかったってことですよね。そう考えると、今この世界に「心残り」がなかったということです。(もちろん訊けないのでこれもまた想像でしかありませんが)
そこまで世界を変えたい!という強い気持ちをもっていたってことだと思うのです。
でも、残されたものは「心残り」があります。
それでもやっぱり「世界を変えたかった」という近しい人が残してくれたものがあるはずなんです。
ネイティブアメリカン ラコタ族の言葉で
『愛は、死ぬときにあとに残していけるものなんだ。それくらい力強いものなんだよ』
というものもあります。
Kocoさん、見つけてみませんか? 世界を切り替えた人たちが残してくれた『愛』を、とことん。
そして、死はただ肉体が滅んだだけで、その人は永遠に違う世界に生きていると思ってみませんか?
紙とペンを出して
残してくれた愛をたくさん書いてみてください。
そしてできたら『感謝の手紙』を書いてみてください。
死が教えてくれることはたくさんあります。
ぼーーっと生きていると忘れがちな繋がりを思い出させてくれるのが、法事だったり、お墓参りだったりすると私は思っています。
今、ここに生かされていることを思い出す。ここにいるということは、長い長い繋がりの一部であるということ。どこもとぎれることなくここまで、自分まで繋がっていたと感じることのできる行事だと思います。
Kocoさんの中に蓄積している思いを言葉に出して誰かに伝えてみるのもいいと思います。
『自死』されたご身内がどなたなのかはわかりませんが、グリーフケアのサークルなどもありますから、そんな会に参加してみるのもいいかもしれません。
参考になれば幸いです。
*********
ただいま、LINEでお友達追加していただけると、無料で1往復無料お悩み相談承り中です!
『死生観』について…
わたしもずっと自分なりの答えを探しています
亡くなった主人は、どのような気持ちであったのか
わたしに何かできることはなかったか
わたしといる人は不幸になるような気がしてなりませんでした
今の彼とのことも最初はとても怖かったです
またある日突然いなくなってしまうのではないだろうか、とか…
春野さんのネタ募集に送ろうかと悩んでいたところのこの記事…
絶妙なタイミングでした
なかなか落とし込めないですよね。見えない世界なので頭で理解するのはとても難しいし、もしかしたらできないのかもしれないかなとも思います。
これは「理論」とか「分析」ではないことなんですよね。
『something great」の存在を信じて心落ち着ける人も多いと思います。
グミさんなりの『こころが落ち着けるなにか』が見つかりますように。
ネタ募集も引き続きお願いしまーす。