子育て応援

ベストを尽くすとは完璧を目指すことではない【ひらがなが読めない次男】

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。

今日は電車で出かける用事があり、外に出たら「なんとなく寒い」と思ったが、そのまま駅へ。

周りを見渡せば皆、ダウンコートやマフラーをしっかり巻いている。かくいう私は上着も着ないで、晩夏か初秋のようないでたちで出てきてしまった。

そりゃ寒いわな。太陽って暖かい…としみじみ感じられてよかった。

さて、今日は『ベストを尽くす』ということはどういうことかを講じてみたいと思う。

ベストを尽くすとは「完璧に近づく」とはちがう。

その時持てる能力を存分に生かすということである。

もし目の前に『問題』があるとして、それが解決できないのであれば…

「ベストを尽くしていない」か、もしくは「その問題を解決するまでに自分がまだ成長していないか」のどちらか。

昨日「ひらがなが未だ読めない次男と計算問題をやっていて、行き詰まる…という問題」を紐解きながら講じていきたいと思う。

まずは問題(課題)を分ける

小1の次男は『識字障害疑い』があり、未だにひらがなが読めない。漢字もどんどん出てきて、母としては焦るが、本人は特にどうと言うことでもないようで、毎日楽しく学校に行っている(オレはぼっちだが…と言ってはいるが)。

母の心理としては「ひらがなができないのだから、せめて計算くらいは人並みに…」と思ってしまっている(いろいろ突っ込みたくなるかもしれませんが、こらえてください)。

で、これまでは算数のテストは(先生に問題文を読んでもらって)高得点を取ることができている。

で、昨日持ち帰った宿題が…

11-3=
18-9=

とかそういうヤツ。1桁から引けない数を引くので、10の位から引かないと答えが出ないヤツ。(説明があれだかわかってください)

で、「先生はどうやって教えてくれたの?」と訊くと「ブロックでやった」と。

懐かしの算数セットに入っているあれか…家にはないぞ?

で、算数の教科書をみたら、

「10のまとまりから、引いて、10のまとまりに入らなかった数を足す」と書いてあった。

へぇ…そうやった教えるんだ…。

で、そう説明したら「全然わからない」と言う。何度説明しても「わからない」と言う。

私もイラついてくる…「分かろうとしていないからわからないんだ」と声が高くなる…。

で、ふと思う…「私の問題は何だ?」と。
なぜこんなにもイラつくのか?と。

で、次に思う…「次男の問題は何だ?」と。
そもそもこれを次男は問題だと思っているのか?と。

次男の問題は「11-3がわからないこと」ではなくて、「かかが今にも怒り出しそうなこと」が問題なような気がして来た。なぜなら「問題を考える」のではなく「どうしたらかかが怒らないか」と一生懸命探しているようだったから。

さて、問題の分離だ。

私の問題は「次男がいくら説明してもわからないこと」ではない。
『私が上手く説明できないこと』と『もっと早く宿題を始めるべきだったという後悔』だったという着地を見た。

ってことはだ。時間は戻せない、そして私はこれ以上次男が理解できるように説明はできない、つまりその能力がまだ備わっていないということになる。

・・・・今日のところのベストは尽くしたんでないかい?

次男に「私はこれ以上上手く説明はできないが、次男はどうしたいか?」と尋ねたら「もう風呂に入りたい」と。

だから、宿題のプリントにこう書いた。

「100回説明しましたが、どうしてもわからないと言うので今日はできませんでした」と。

それを読み上げたら、次男は大笑いしていた。次男もがんばって「わかりませんでした」と書いた。

先生ってすごいなぁ~。きっとうちの次男のように「わかりましぇーーーーん」って顔して聞いている生徒もいるだろうに…。完璧主義の先生だったらイラつくだろうなぁ~。「なんでこんなに説明してんのにわかんないの!!!」って発狂しないのは本当に敬服する。

ベストを尽くすとの諦めるのは違う

ものはいいようだけれども、「こんもんだな」と完璧には程遠い状態でやめることを「諦める」と判断することもできると思う。

でもね、完璧を目指すことが辛いなら、諦めることもアリだと思う。

まぁ、また自分のできる限りをやろうと思えば、徐々に成長をしていく。そんな自分を信頼する。

100点満点じゃなかったことを悔いるより、まだ100点満点を目指せる余力がある、まだ成長できると思えるようになるといいのではないか。

そうじゃない!100点じゃなければ、1位じゃなければダメなんだ!!と思うことは決して否定しない。そこを目指すことは悪いことじゃない。ただそれを楽しく、幸せを感じながらできるのであれば。そこを目指すまでに、我慢や犠牲がないのであれば。多少の我慢や犠牲はあるけれど、それを達成した時に余りある充実感が得られると確信しているのであれば、それはとても素晴らしいことだと思う。

やりたいことをやるために、「やりたくないこと」をやらないと、到達できないことだってあるからね。

算数の件については、個人的には先生がうまいこと説明してくれて、次男ががっつり成長を見せてくれることを切に願っている(私はもうこの点に関しては成長するつもりがない)。

アカウンタビリティ(責任の概念)という考え方がある。
『私達に起こることの全ては自分自身の責任の結果である』という考え方。

誰かのせいにも、何のせいにもしなくていいとても自由な考え方だと思う。でも『責任』って日本語なんか重いよね(笑)

それでも私はこの考え方がとても好き。

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