高校生の頃、私は『フォークソング部』という部活に入っていた。なんか面白いでしょ?
文字通り「フォークギターを掻き鳴らしながら歌を歌う部活」であった。楽しかったなぁ。
その頃流行ったプリプリとか、ジュンスカとかを演奏するのも楽しかったけれど、さだまさしや伊勢正三も好きだった。そんな曲をチョイスする私は案外受け入れられていた。(むしろウェルカムな人たちだったかも)フォークじゃないけれどエコーズも好きだった。エコーズ知ってる?辻仁成のバンドだよ。
そんな辻仁成氏(つじじんせいってうっかり言っちゃってよく「違いますよ!」と指摘を受けるけどエコーズの頃はつじじんせいって言ってたんだよ!)の今日のブログが『期待』についてだった。
そう、期待…
期待は裏切られる。でも期待せずにはいられない。期待をよせてはがっかりして、でもやっぱり期待する。自分にも家族にも他人にも。
なんだろうね?なんで期待しちゃうんだろうね~?
自分と同じように他人もできるだろう、もしくはしてくれるだろうと思うからだよね。
自分に対してだったら、自分はもっとできると完璧主義、理想主義が発動するのかな。
期待されないことが不満だってことも
期待されていないことが悲しいってこともある。
息子のサッカーチームで大会に出場した。対戦相手も勝ち上がるには好都合だったらしく、コーチ陣も、ママたちも『期待』した。次のリーグに勝ち上がるだろうと。
でも、結果は思わぬ相手に敗退して、夢破れた。
その落胆ぶりは半端なかった。がっかり感は子どもたちにも伝染していた。一番がっかりなのは子どもたちじゃね?と思う保護者も多かったかもしれないが、あの時のチームのどんよりムードは笑えるほどだった。
で、このチームでは「はるさん、まだ壺売るつもりだ」と言われくらい訓示を垂れる面倒な母な私がまた余計なことを言う。
「期待は裏切られるもんだ。期待はしないで、心配を信頼に変えよう」と。
すると、コーチのひとりが言った「期待されないほど悲しいことはない」と。
はっ!!それはそうかも??と思った。
結局、他人軸か自分軸か
期待は裏切られるのであれば、もう期待しない!!って思うのもまた一考。
「期待されないことほど悲しいことはない」という気持ちもよくわかるけれど、それって自分の価値の評価を誰かに任せてはいないだろうか?
自分はベストを尽くしたと言えるのであれば、それでOKとはならないだろうか?
もしならないのであれば、なぜなんだろうか?
誰かを喜ばせるためにする
誰かの期待に答えるためにする
とても素敵なことだ。でもそれになにか『犠牲』や『取引』はないだろうか?
その心の奥に『無価値観』があって、それが補償行為につながってはいないだろうか?
結局そこに行きつくんだよね。
自分軸であれ。そう願う。
ワクワクする期待をしよう。自分軸で。
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