どうしてもそんなこと想像できないし、自分にはそんなことできる気がしない。
そんな風に思ったことない?
例えば「5年後の幸せな自分を想像してみてください」言われた時に。
だって、こんな年だし、マッチングアプリに登録しても「たぶん体目当て」だろうし、ブスだし、結局は幸せな結婚はできないだろうなと思う…。
という未来を思い描いている。そう、その未来しか思い描けない。
なんで?
だって、今までもそうだったし、それはなんとなくわかる。
えっ?そうなの? 未来って決まっていないのにわかっちゃうの?その未来設定をしているのは誰~?あなただよね??
いや、現実に今そうなっているから。言い寄ってくる人はそういう人しかいないし、鏡を見てもブスだし、そんな私に明るい未来はない。
まぁ、掘り下げるところは色々あるんだろうけど…一言、言わせてもらうならば…
幸せな未来を自分で設定して(ビジョン)、今、どう動くかの方が大切じゃない?
「どうせ○○だから」と言っていたら、それが現実になる。だって自分がそう信じているんだから。もしくは、自分で「そうなりたい」と願っているんだから。
だったらさ、まずはビジョンを描こうではないか!というご提案。
それって痛い人ですよ
そんなことを言うと「それって痛い人じゃないですか~」と言われたりもする。現実を知らない人みたいな。
例えば、アラフィフの私が「今からアイドルになります!!」とビジョンを描き、コミットメントしたとする。
たぶん世間一般で言ったら「痛いアラフィフ」になるのかな。
すると、今何をするかってことに注目することになる。ダンスを習い始めるかな。歌のレッスンとか?多分美に関しても色々研究することもあるかな。
そうやっている時はたぶんとても楽しい。痛い人だったとしても、今やっていることは楽しい。
これがビジョン。
じゃ、ファンタジーは?
ファンタジーとは、まぁ妄想だよね。「今いる辛い場所から逃避するためもの」かもしれないし、「癒されるもの」かもしれない。それはそれであっていいと思う。
今の自分がイヤで、きっとアイドルにだったらみんなから持てるし、ちやほやされるし、必要とされている感もあるし、見た目もきっとかわいいと自信もあるだろうな…
と妄想する。でも…なにもしない。これがファンタジー。行動はしない。
時折『間違った引き寄せの法則』みたいになっちゃっていることもあるよね。妄想するだけで夢が叶うみたいな。
ファンタジーからビジョンに
新しいアイデアとか、画期的な提案なんて何もないけれど、要は…
やりたいことを、実際に行動に移してみればいいんじゃない?
ってことだよね。やってみてウキウキわくわくしたら楽しいじゃない。それだけ。
結婚がしたいから婚活アプリで色々やってみたけど、あんまり楽しくない…。
のであれば「じゃ、なにかウキウキわくわくするかな?」って考え直してみるのがいいと思う。
『幸せな結婚がしたい』と強く望むであれば、そうなっている2年後の自分を想像してみるといい。じゃ、そうなるために「今」なにをするのかい?
『楽しい結婚生活を送りたい』と強く願うのであれば、今していることはそれに向かっているのかい?誰かのせいとか自分のせいとか、なにかを責めていないかい? 何かを責めることで、その幸せのビジョンに近づいているのかい?
でもやっぱり…
でもやっぱり、幸せビジョンが描けないし、描けたとしても『今』行動ができない…って思うこともある。
それって、なにかの罪悪感かもね。罪悪感を持つのはあたりまえだと思うよ。これだけ長い間生きてきて、罪悪感を一度も持たずにここまで来ていたらそれは奇跡。
罪悪感にもいろいろある。一つ質問。
呪っている誰かはいませんか?
誰かに復讐していませんか?
潜在意識の中で、「そんな思いを持っている自分は幸せになってはいけない」と思っているのかもね。罪悪感を持っているあなたは、自分で自分を罰しているのかも?
「自分は誰の喜びにもなっていない。だからそんな自分が喜ぶ未来が手に入るわけがない」と思っている。潜在的にね。
じゃ、一度誰かの喜びになってみては?と提案したい。
誰かの喜びになるためには、まず心に余裕を持って!自分で自分を喜ばせてあげよう。
そして、誰かを認めてて、褒めてみよう。感謝を伝えてみよう。
出会った誰かでもいいし、ご両親でもいいし、夫さんでもいい。
きっとあなたに認められたり、褒められたりしたその人はとても喜ぶはず。そんなことを続けていると「私は誰かの喜びになれる」と思えるようになる。
呪ってばかりでも、自分の正しさを主張してばかりでも、自分の罪悪感を募らせるばかりで幸せにはならないし、幸せのビジョンも描けなくなる。
まずは、「私は幸せになる!!」と強く願うこと。
そうすれば、おのずと幸せビジョンを描くことになって、『今』なにをすればいいのかがわかってくると思う。
そうすれば、過去に起きたすべてのことを『あれでよかった」と思うようになって、未来が見えるようになって、『今』なにをするのかが見えてくる。
やってみて。