ひとりでがんばってがんばってきて、感情を抑圧して、誰にも頼らなくて、自分から孤独を選んできて、一人で生きていくなんてイキってきたけれど、最終的には『無気力』に心を支配されてしまう状態が、デッドゾーン(死の誘惑)という。
がんばってもがんばっても報われない時にも同じようになるよね。「ああ、努力は無駄だ」と思ったりね。
デッドゾーンは感情が麻痺している状態。全ての感情を感じないでいると「なんで生きているんだろう?生きている意味がわからない」という状態になる。
そんな人に会うことがある。「別に死んじゃってもいいんじゃないかな?」と淡々と言う。「終わりにしてもいいんじゃないのかな?」という感覚。
夫婦関係でも、人間関係でも、仕事関係でも起こりうる状態。実際に『死にたい』とは違うけれど、「もう意味がないから終わりにしたい」という感覚。
依存していた時代に諦めたこと。
自立時代に攻撃し続けたこと。
そんなことをすることが、デッドゾーンを抜け出す鍵になる。
夫婦関係の依存と自立
『依存』という言葉を聞くと、ぶるっと震えが来るのは私だけだろうか?どうしても『誰か』に特に『夫』に頼ることを「この世の終わり」くらいに思っていたので、『依存=頼る』ことができないし、震える。
そもそも、結婚した時、つまり関係が誕生した時は『依存度』が高い。あれをしてくれ、これをしてくれと赤ちゃんのように要求する。
結婚するということは全く違った価値観で育った二人が一緒に生活することなので「こうしてくれるだろう」という期待のぶつかり合いになる。そしてそれが叶わないと「やってくれなかった。やってくれないなら、いいわよ!!自分でやるから!!」と腹を立て、無理やり『自立』をしてしまう。
「無理やり」自立しているので「やってもらえなかった」という思いが強くなり、「やりたくてやっている」のではなく「夫はあてにならない、私ひとりでがんばらなければならない」と思っているので、完全にネガティブな自立。
これじゃぁウラミツラミが募っていく。
そう、私の状態ですね!!
依存時代に傷ついているので、「あんな状態にはなりたくない」と怒りまくって、それが私のガソリン。怒りを製造しないと止まってしまうのでどんどん怒る!!そして疲れる…。
で…バーンアウトと相成ります~。
負けるとか勝つとか、正しさの競争
もともと「認められたい」欲求が強かったんだと思う。介護も「やりたい」と思っていたとは思うけれど、それでも「嫁として」とか「よく思われたい」という思いも強かったんだと思う。
そして、夫には「あなたの父親を介護しているんだから○○してよ」とか「○○すべき」といと要求していたのだろう。
そして、「なんで私がこんなにやっているのに、同じくらいやってくれないの!!?」と思うようになり、「どうせ、私がやっていることになんて興味もないんでしょ!!?」となっていった。
それを声に出して言っていたと思う。
言い返されたり、キレられたりして、そんなことを言う自分に自己嫌悪したりして…。私が悪いのかな?と思って見たり…そして、不満が募って夫を責めまくる!!
あっちが悪い!!と相手を加害者にする。私はいつでも被害者で可哀そうなのは私だ!ってね。
で、始まったのは『正しさの競争』ですね!! 今も「私は間違っていない」という観念が強い。夫婦生活の中でどこをどう切り取っても私が『間違っていた』ことはないと思ってしまっている。どーもすみません。
勝ち負けにこだわるのも、ネガティブに自立してしまっているからなんだろうね~。だってね、負けてしまったらまた『依存』の時代に戻ってしまうってことだからね。そりゃ負けられないね~。
さて、生まれ変わる時だ
デッドゾーンまで来たらあとは生まれ変わるしかない。生まれ変わるためには鍵が必要になる。
それは、『最大のタブーを犯す』ということになる。人それぞれそれは違うんだろうね。
まぁ私の場合は『負けを認める、受け入れる』っていうところになるんだろう。
そしてなによりも『幸せになるコミットメントをする』ということだ。幸せになる方へ行く選択を続けると言うこと。
勝ち負けにこだわって、被害者で居続けて、誰にも助けを求めず、孤独主義を極めて、それで幸せになれるのか?ってこと。
まぁそこそこ幸せにはなれるだろう。
なんで『そこそこ幸せ』で妥協するのか?それこそ『感情の麻痺』ではないのか?
と、むさくるしく熱く語っておこう(笑)