誰の心にもある『罪悪感』
罪悪感と言ってもいろんな種類がある。
ダイエット中に甘いものをたくさん食べて「あ~罪悪感~」と軽く思うこともあれば、
「人を傷つけてしまった」といったしばらく思い悩む罪悪感もある。
「私はけがれている。毒のような存在だ」と思い込むこともあれば、
「あの人は大変なのに、私は恵まれている」という罪悪感すらある。
人は簡単に罪悪感を持ち、そしてそれよって自分自身を罰するようなことをする。
「こんな私が幸せになってはいけない」というような罰則を自分に与える。
罪悪感を持ってはいけないということはなくて、だれでも大なり小なり持っているもので、どうしようもない。
罪悪感がマックスになると「自分は世界で一番の悪人だ」と思い込む。そしてそんな自分をとにかく罰したくなるってこと。
罪悪感を軽くすることはできる。一番いい方法は
「自分を許す」ということである。
恵まれていることに対する罪悪感
これって多分メジャーな罪悪感だと思うんだけど、あまり自覚している人って少ないんじゃないかな?と思う。私個人はこれが盛大にある。だいぶ若い頃から自覚していたと思う。
かつてこんな記事を書いた。
要は『恵まれていることに罪悪感』を持っていたのだと思う。さほど大きな問題もなく、一般的には『いい家庭』で育ち、周りの友だちの悩みや問題を聞いて、申し訳ない気分になっていた。
罪悪感を増やしていったのだと思う。
友だちと話していてなんとか「自分も恵まれていないんだ」と言いたくなり、ちょっとした嘘をついたりもしちゃったりして…嫉妬されたくないという思いもあった気がする。
子どもの頃に嫉妬されたという記憶はないのだが、前の会社で同僚の女性にされたこと(多分嫉妬)の話を幼馴染と話していた時に「こんなことは初めてだ」と言ったら、3人が一瞬止まって「春野は小さい頃からそんなことがしょっちゅうあったよね」と大爆笑して「あれも、これも」という話をし始めたので驚いた。たぶん「なかったこと」にしたかったんだなと今さら思った(笑)私はよく嫉妬されていたらしい。
そんな小さなことが積み重なって、恵まれているとよくないことが起きるという思いも増やしていったのだろう。
自分は『恵まれていることに罪悪感』があるんだろうと思うのは、私がよく『補償行為』をしているなということがある。
『補償行為』とは「自分は罪を犯した人間なのだからこうすべきだと思って行動すること」。
言ってみれば、自ら問題に向かって突き進んでいくという行為だろうな。その問題に対面することで『罪を償っている」と思い込もうとしているってこと。
わかりみ~(最近の子ってこれよく言うよね)
そういえば、夫がテレビで紛争地域の子どもたちとみると。子どもたちに「ほら、こういう子が世界にはいるんだ。恵まれていることに感謝しろ」とか、「野良猫は大変だ。うちの猫はいいな」とかいうことになぜかとても腹が立つ。
恵まれている自分を許せないから、この発言に腹が立つんだろうなぁ~。
では、恵まれていることを享受する
まぁ解決策は簡単な気がする。
ただ「恵まれていることを大いに感謝する」ということだけ。罪悪感が強いとこれもなかなか難しいのだけれど、思い返してみればありがたいことばかりなんだよね。
恵まれていることがなぜ罪なのか?
どうしてそう思ったのか?
いつからそう思うようになったのか?
なんてことを掘っていくと、「あれ?別に受け取っていいよね?」と思うことが多いんじゃないかなぁ~と勝手に推測している。
幸せになることにコミットしたら、ますます「ああ、これは受け取ろう」と思えるようになる。
そもそも『恵まれていることに罪悪感』を持っているなんて、謙虚だし、なんか素敵じゃない?そんな自分も「あら、かわいい」と思えるようになったら最強だ。
可愛いは最強だからね~。
罪悪感と言えばこちらの本ですね!!
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