義理の親、いや、実の親でも同じことだけれども、毎回言われてどうしてもイラっとする言葉ってあるのではないだろうか?
なんでいつもそれ言うの?
いやだって言っているよね?
しかも、その言葉ってその時だけじゃなくてその後しばらく経ってからもまた思い出してイライラしたりして…。
ほんとに嫌なんだよ!!となんでここまで心乱されなければならんだ!!とそんな自分にまた腹が立ったりして、もうどうしようもないんだよね!!
そのイライラのメカニズムはあれだ…結局これになっちゃうんだけれども、自分で自分を責めているからに他ならない…。あ~いやだいやだ~認めたくな~い(笑)
義父の定型言葉にいつもイラっと来ていた
昨日、私がとても大切にしていた陶器の小物入れをうちの狂暴猫が落として割った。とてもショックだった。
しょんぼりしていたら、長男が「大丈夫?」と気遣ってくれ、猫にお仕置きだ!と言って「閉じ込めてくる!!」といって連れて行った。(結局閉じ込めてはいなかったけれど)
そんなやりとりを見てまたあの頃を思い出した。
義父が生きていた時に何かが割れると必ずいう言葉。
「形あるものはいつか壊れる」
これを毎回言う。しかも「オレは今いいこと言っているぞ」といった感じに。
これに私はいつもイラっとしていた。言い返したこともあるし、「それ言わないでください」お願いしたこともあった。それでも義父はよくこの言葉を言っていた。
なぜ義父はそんなことを言うのか?
あなたもないですか?同居の実家族でも義家族でも、いや、同居じゃなくても近しい人が言う言葉に過剰に反応してしまうことが?
夫でも、親でも、子どもでも。
それってなんでそんなに『イヤな気分』になるんでしょうね?
私の場合、「形あるものはいずれ壊れる」という言葉ってとても一般的な言葉なのに、その言葉が義父から発せられるととても嫌な気分になっていた。
それが仲のいいお友だちが言ったとしたら「そうだよね~」で済む話だ。
そもそも義父はなんでそんなことを言うのか?
正直いって、おそらく「ただ言っているだけ」だろう。その言葉の裏になにかがあるかもしれないけれど、そんなことは分からないし、言葉として言ったわけでもない。
それを、私がなにか違う意味合いに脳内変換していたのだ。
これって私だけ?そんなことないと思う。お姑さんが「あら、麻婆豆腐はそういう素を使って作るのね。簡単でいいわね」と言ったとして、これに「イラッ」とする人と、なんとも思わずに「そうなんですよ~結構おいしいですよ」と返す人がいるのと同じ原理だろうなと思う。
何が言いたいのかというと、相手の言葉をどうとらえるかは、こちらの心の構造によるということだ。
とにかくいつも責められていると感じていた
義父は文句の多い人だった。王様でもあった。
テレビに向かっていつも批判批評していた。私の作ったものに対するコメントも結構辛辣ではあった。最初の頃はさほど気にしていなかったと思う。
私も料理には劣等感はなかったから。できないということもなかったし、レシピを見て作るということもなかった。大体できたと思っていた。
けれど、毎回なにか一言いう。私の行動に対しても私の身内の行動についてもなんだかなんだと一言いう。
批判ともとれるなんか一言を…。意地悪でもないし、声を荒げるわけでもない。でもじわじわと来る感じ。わかってくれる人いるかな~?
それが積もり積もっていったんだと思う。そして自己肯定感を下げていったのだろう。
私は「ダメな嫁だ」と。
何をしても責められているような気分になっていき…とうとう幻聴が聞こえ始めた。これは私のヤバイサイン。これが始まったら対処が必要になってくることも自分自身分かっていた。
でも誰が誰を責めているのか?そう、自分が自分を責めているんだよね。
今だったらこうするかな
あの頃それをどうしていたかというと…
夫に文句を言いまくっていた。これたぶんダメだったと思う。あの頃は黙って聞いていたけれど、そのうち「よく人の親をそこまで言えるな」と言われるようになった。
こうなると今度は「夫はもう味方ではない」となってしまって今度は怒りの矛先が夫にお向かう。
ああああ~どうしようもないな!!
ここで自分の心に立ち返ればよかったんだよね。
期待に答えたい
ちゃんとしなきゃという完璧主義
誰かのために行動する
ダメ嫁だという自分にレッテル
我慢はするものという思い
こんな感じかな~。犠牲、我慢、無価値観…脈々と受け継がれるこれ…。
結局は我慢して、犠牲を払って、いい嫁になりたかったけれど、相手の言葉を脳内変換して自分で自分を責めて、無価値観を募らせ自爆した。ってところかな~。
あの頃の私に言ってあげたい。
別にうまくできなくたって、文句ばかりいう義父を好きになれなくても、嫌いでも、そのことを文句言っちゃう自分もいいじゃない。それが自分なんだから。変わらなくていい、自分を責めなくていい。そのままの自分を愛してあげられるのは、まるっと認められるのは誰だかわかっているよね?そう自分自身だ。自分に甘くしてあげよう。
加害者にも被害者にもならない。なるのは無害者。他者に対しても自分自身に対してもだ。
自分を大切にすることを抱きしめよう。
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未来の私が 過去の私に 「この先、色々大変なことや、イヤなこと、苦しいことがあるけど、あんなことも、こんなことも、結局は人生の有益な糧になっていたんだなぁと思えるようにになるから大丈夫だよ。そのままでいい」 と言えるように、今を生きる。