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目の前に起きている事象は自分の心を映す鏡だったりするんだよね

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。

先週末、大阪に行ってきた。根本裕幸お弟子制度の3期の見学のために。(因みに私は2期)最終日とあってなかなか感動的であったと言いたいところだけれど、3期の皆さんのパワーというかエネルギーがすごくて、涙涙の感動…!というものはなかったけど、3期のみなさんに『生』で会えたことはとても楽しかった。

お邪魔しました。

で、帰りに「go toのクーポンを使わないと~」という話をすると、大変多くの大阪の方たちにおすすめされたのが、『551HORAIの豚まん』。

特にこだわりもないので、新大阪の駅で豚まんを買うことに。

そこで、起きた事象を見て、自分の心にあるものでいかようにも見えることが変わるなぁとしみじみ感じた。

「自分はいつでもかわいそう」と思っていれば、いつでも簡単に被害者になれるし
「私がいつも悪いんだ」と思っていれば、いつでも加害者になれる。
「私はいつでも愛される」と思えば、目の前の事象をいくらでもその証明に使うことができる。

何がいいのか悪いのかはわからないけれど、起きた事象から派生する『その後』のパターンはいくらでもあって、それをどうするかはやっぱり自分次第なんだろうと思う。

豚まんと『go to の電子クーポン』から読み解く、投影について、もっともらしく語ってみたい。

go to クーポンでトラブル

ことの発端は、551HORAI(蓬莱)の長い列に並んだところから始まる。

新大阪の売り場は2つあるらしいけれど、目に付いた蓬莱の売り場に並んだ。結構な列でちゃんと時間を見ていたわけではないけれど15分は並んでいたと思う。

見た目と裏腹で、私は結構繊細で気にしい。やっぱり「ご迷惑をかけたくない」と思っているし、できたらすべてを『スムース』に進めたいと思っている。

だから並んでいる間に電子クーポンのページを開いておいた。ただ、使ったことがないのでドギマギしていた。

で、ようやっと自分の番が回ってきて注文を済ませ「電子クーポンでお願いします。これどうやるんですか?」と訊いた。

店員さんはとても親切で、私が見せた画面を見て「こころタップして~その後~」と丁寧に説明してくれた。

しかし、私の電波が悪いのか、なかなかページが変移しない…。これだけでも「ヤダ…列が長いのに…」と心折れかける。

変移したと思ったら、カメラが作動しない…で「chromeに問題が発生しました。アプリを閉じます」というメッセージが…

「ヤダ…どうしよう」すると店員さんが「もう一回最初からやってみてください」という。

「も、、、もう一回…」そしてもう一度なかなか変移しないページ、なかなか作動しないカメラ…そして今度は「このページは動作していません」のメッセージ。すると、他の店員さんが「ページ見せてください」と、「う~ん…ページ戻れます?」と色々やり始めた。

「ヤダ!ヤダ!!こんなに長い列なのに、こんなに時間がかかってムリムリ!!」と思い、「いいですいいです!!現金で払います!!」と現金を出した。

すると、また他の店員さんがやってきて「えええ~ちょっと見せてください。他の方法があるかもしれないし」と私のスマホを覗き込んで…

なんで!なんで!みんなこんなに親切なの??「どうにかしてこのおばさんにクーポンを使わせてあげたい」という思いがヒシヒシと伝わって来るぞ!!

と思いながらも、私はストレスに頭が真っ白になって、すぐにでもその場を立ち去りたかった。

という顛末。

人によっては取り方が違うし、行動も違う

私は、皆さんの親切がとってもうれしかったし、できたらクーポンも使えたらよかったけれど、それよりも、並んでいる方たちをこれ以上私のためにお待たせしたくはなかったので、さっさと現金で払うという選択肢に切り替えた。

これが、私の心を健全に保つために一番いい方法だったから。

でも、同じ事象が起きたとしても…

とにかく文句を言い続ける人もいるだろうし
アプリが悪いとイライラを爆発される人もいるだろうし
絶対クーポンを使うんだと、できるまでチャレンジする人もいるだろうし
店員さんにどうにかしてもらおうとする人もいるだろう。

どれが正解かはわからない。というか、正解はないと思う。

しいて言うなら、一番「心健やかに保てる方法が」が正解だと思う。

そうなると一番重要になってくるのが「自分の選択」だと思う。

だれが何と言おうと、自分の感情に添い続けることだよね。

「私はどうしたいのか」

って、クーポンと豚まんごときで大げさ??

店員さんに投影したりする

3番目の親切な店員さんは結構押しが強くて「絶対クーポン使わせてあげたい」という思いをグイグイ感じた。下手したら私のスマホを持って行きそうになっていたしね。

ここで「本当は現金で払って1秒でも早くこの場を立ち去りたい」と思っていても、周りの押しの強い『親切』に押されてそこにとどまって、針のむしろ体験をする人もいるだろう。

「こっちがいいって言ってんのに押し強すぎん?」と店員さんに不満を持ち、イライラしながらそこを立ち去る人もいるかもしれない。

「ご親切にありがとう、でも!」と颯爽とさわやかにその場を去る人もいるだろうし、私のように「ありがたいけど、ごめんなさい!!」と逃げるように去る人もいる。

ここで、余計なお世話だよ!!とイラっとするか、もしくは「親切だわ~」と思うかって、なにが違うんだろうね?

自分ルールの発動ってこともあるし、自分の心の投影ってこともある。

その瞬間は、「どうにかしなきゃ!」って焦っているから、そんなこと考える余裕も、感じる余裕もないけれど、あとで「あれはなんだったのかな?」と見返して、自分の心の中をのぞく材料にはなるよね。

なにが言いたいかっていうと…

この一連の事象で「感謝しかない」と思った私の心が随分と健全になったもんだと感心したという自慢的なことがしたいだけ(笑)。

皆さんはどうですか?

「世の中の人みんな怒ってんな」とか
「会う人みんな文句ばっかり言っている」とか
「この人自分が悪いと思っているんだろうな」とか
「親切な人ばかりだな」とか

そんな目に見える周りのことは自分の心を映しているいると思ったら…

なかなかシュールかもしれないけれど(笑)

いずれにしても、店員さんのやさしさもプラスされて、より蓬莱の豚まんと焼売は美味しかった。

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