土曜日は忙しい…。土曜日って仕事が休みの方が多いから、セッションの申し込みもしやすいんじゃないかな?と思って日程を多めにいれているんだが、子どもの習い事の送り迎えや、家族が家にいるから食事の準備もあるし、なんか忙しい。かつてはこういう忙しい自分が大好きだったなぁと思い出す。
今は毎日ぐうたらしているからな。たまにはこんな日もいいだろう。
さて、突然だが容姿に関する『受け取れない件』をココロノオフィスのKさんがブログに書いておられて、非常に面白いなぁと思って私も書いてみる。
あなたは容姿を褒められて素直に「ありがとう」と言えますか?
我ながら複雑なコンプレックスだなと思う
Kさんのブログはこちら↓
※因みにKさんは美しい方です。
容姿を褒められても逆にイラっとする…わかる。
私の場合、もはやイラっともしない。うれしいもない。そこは『無』となって受け取らない。そして、受け取っていないことも相手にはわからせない。ここで「受け取っていない」と相手にわかることは、相手は「受け取ってもらえなかった」という残念な気持ちになることも知っているから、ということもある。
だからそこで「いえいえ、そんなことないです~」とも「ありがとうございます」とも言わないことが多い。(親しさにもよるが)
そこはかつて『忍者ハッタリくん』の異名ももらったこともあり、長年の経験で、自分が考えていることを表に出さないなんてお手の物なので、たいてい「知ってる~。私かわいいんだよね」というノリの返事をするのが常だった。
自分自身の容姿に劣等感があることもバレたくない。「そんなことないよ~」とも言われたくない。その件については触れられたくない。そうなると取る手段はひとつ…『麻痺させる』ということになる。
その感情すら感じたくないということ。
褒められて、うれしいとか、イラっとするとか、喧嘩を売るとか、信じられないとかそういう感情すらももういらない。
となると、鏡すら見なくなる。いや、鏡は見る。髪をみるとか、シミを見るとか、まゆげをみるとかのピンポイントとしてしか見ておらず、自分の顔を鏡で見ることなんてなかった。
そう、最近まで。
オンラインセッションでカメラに映った自分の顔を見る
このご時世なので、ZOOMでオンラインセッションをするようになって、画面に映る自分の顔をシミジミ見てみた。
なんて見苦しいんだろう…
と毎回思っていた。本当に見苦しい。こんなんで世の中歩いていていいのかな?とも思うくらいに見苦しいと思ってしまった。
そんな話をポロっと宮本朋世カウンセラーにしたら…
「それは呪いよ」と言われて、はっ!!とした。
呪いって言葉が強烈だった。
そして、麻痺から少し感情が動き出して、容姿を褒められて適当に流すのではなく「受け取れていない自分」を感じることができるようになった。
そう、少し『呪い』が解けてきたのだと思う。自分で自分にかけた呪いを解くのは「どこかにいる白馬に乗った王子様」ではなく、「自分自身が白馬にのった王子様になる」ことなんだよね~。
受け取れていない自分をまずは感じてみる。そしてそれを『認める』ことから。
そうか~まだ受け取れないかぁ~まぁそんなもんだよ~っていう感じで。
きっとね、目と鼻と口の並びの話をしているわけでもないし、肌のきめ細やかさとかマユゲのカタチの話をしているわけでもない。
どんなに100人が100人とも「きれいな顔」と言われる顔を持っていたとしても、「見苦しい」と思うことはやめられないんだよね。
だから、それは目に見える物理的なことではないから。
美しくない自分は許せないし、そんな自分は愛されないと信じ込んでいる。
もっと掘れば、自分が美しいと、かわいいと認めてしまったらなにが起きるの?という問いかけも自分にできる。
そんなん、モテモテになっちゃって困るからじゃないの? いや自分がモテないようにしている根本理由を見たくないのかもしれないんじゃないの?
何かを手放したり、なにかを受け入れたりしたらさ…幸せになっちゃうから「認めたくない」のかもね~(笑)
だから続くよ、自分掘り。
自分で認められるところから認めていく。小さい呪いから少しずつ解いていく。
時間はかかるかもしれないけれど、もう幸せになるって決めちゃったんだから腹を括ろうか。