昨日は家族でチーターを見に行った。チーターは暑そうにしていて走るところは見られなかったけど、動物をたくさん見たから私たちは満足だった。
と言いたいところだけれど、小1の次男は一番楽しみにしていた『ふれあいコーナー』でまったく動物と触れ合えなかったことに愕然としてこう言った。
動物にさえ触れ合えないこのコロナ騒動の恐ろしさを初めて身近に感じたということだろうか?なかなか面白いコメントだった。
次男は家ではよくしゃべるし、口も悪ければ、毒も吐くのだけれど、外ではあまりしゃべらない。時々ピンポイントで毒を吐くことはあるらしいが…。
そんな次男の懸案事項は、小学1年のこの時期になっても、平仮名を読んだり書いたりできないということ。
保育園時代から薄々これはどうにかしないとな…と思いつつ、あまりにも平仮名に対して抵抗する次男にも辟易だったし、小学校に行けばもしかしたらサラッとできるようになるかもしれないという期待のようなものもあったので、あまりガミガミも言わずいい意味でも悪い意味でも『放置』してきた。
で、先日の個人面談で…先生も言いにくそうにしていたけれど、思い切って訊いてみた。
と。若い先生はこういった。
そうだよね~。辛いよね~。今のところそんな風には見えないけれど…。
こういう事態に陥った時、母の多くは『罪悪感」を持つのではないかなと思う。
○私がもっとちゃんと教えていれば
○私のやり方が悪かったんだ
○もっと寄り添ってあげていれば…
みたいな感じかなぁ~? 私で言えば「もっと熱心に平仮名に付き合ってあげていれば、次男も辛い思いをしなくても済んだのかも?」という感じ?
正直この件に関してはあまり罪悪感を持っていないのだけれど、罪悪感を持っていないことに罪悪感だったりして…(笑)
識字障害とは
ディスレクシア(英語: dyslexia、ディスレキシアとも)は、学習障害の一種で、知的能力および一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。失読症、難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害、とも訳される
wikipediaより
次男も理解に問題はないのは分かる。算数も問題ない。でも、算数はわかるけれど、問題を解くための文章が読めないので、算数もわからないように見えてしまう。
まぁ日本人って識字率100%だからね。やっきになるよね。文字読めなかったらなんにもできないし。
因みに、次男は自分の名前は読めるし書ける。でも、おなじ平仮名が他で出てきても読めない。
やまもとの『や』だよ?と言っても、「???」となっている。
音読は文字を読まずに…私が一回読んだものを大体記憶してしまうという才能を発揮してしまう。だからあたかも音読しているように見える。っていうか耳から入った情報をすぐ記憶できるって方がすごいんだけど?
だけど、ピンポイントで平仮名を指すと、読めない。一文字ずつ指を指せばなんとか読めるが、文章にはならない。
そんな感じ。
自分のせいを思ってしまう
子どもがうまくできないと「私が悪いからだ」と親は思いがち。だから厳しくしたり、熱心に干渉してみたりするんだろう。もしくは「犯人探し」をしちゃうこともあるよね。
どんな親だって子どもに辛い人生を送ってほしくはない。だから勉強を熱心にやらせたりするし、いい学校に行っていい会社に入って…と今も昔も変わらない思いを持つ。
常識にとらわれることもある。日本人で文字が読めない子はいない。これはおそらく常識なのだろう。読めて当然。読めなかったら非常識。普通じゃない。いい学校にもいい会社にも入れない。子どもがかわいそう。私がどうにかしなくては!!
で、どうにもならないことでも「私が悪い」と自分を責めたりするよね。
自分を責めてなにか解決するんだろうか?
「なにもしてあげられない」「助けてあげられなかった」と罪悪感をもつことで、なにかいい方向に行くんだろうか?
それでもやっぱり幸せならば
親は子供に自分の範疇以外のことが起きると、それは想定できないのであたふたすると思う。
進路もそうだし、日々の行動も同じだろう。
今回の次男の識字障害問題は(まだそうと決まったわけではない。それこそ私が怠惰だからかもしれない笑)、私にとってさほど驚くものでもなかった。
私は見ての通り、識字障害ではない。本も多分『読書家』の領域にはいるくらい読む方だと思う。
でも多分私は学習障害のなにかがあったと思う。学校の勉強が全然わからなかったから。先生の言っていることがわからなかった。行ける高校がないと言われたし、今も長男がやっている問題が本気でわからなかったりして笑える。
でも、ほら私今楽しく幸せに生きている。多少の学習障害があってもそれが「不幸」に直結しないことを知っている。だからたぶん慌てなかったんだと思う。
要は私にとって「範疇内」の出来事だったんだと思う。
幸せの定義の中に「平均的に平仮名ができる」は入っていなくてもかまわないからね。
それもこれも才能
そんなことを言い始めたら身もふたもないかもしれないけれど、識字障害を持っている有名人って結構いる。
有名なのは、トム・クルーズ。
アインシュタインもだっけ?
まぁ結構いるわけなんだけれども、だからといって『普通じゃない』ことで苦労はすることあるだろう。それは否めない。
だけど、それも才能なんじゃないかなぁと思う。
そもそも、字が読めないからその処世術として「全部暗記しちゃう」ということを発見した次男はすごいと思う。
たぶんある時思いついたんだと思う。その日のことはよく覚えている。なかなか読めなかった音読をある日、スラスラスラ~と読んで、文字通りこちらをみて『ドヤ顔』をした。
私も「わ~読めるようになったんだ!!」と喜んだけれど、その次の日に教科書を見ずに、窓の外を見ながら音読していたのでバレた(笑)
できないことを埋める他のことを伸ばす。『ない』をみるんじゃなくて『ある』をみる。自分でそんなことを見つける能力や才能の方を伸ばした方が話が早いんじゃないかな~。
あっ!!この件についてはちゃんと専門機関にはお願いしてあります!!できるだけのこと、私がしてあげられることは最大限にしないと、それこそ『罪悪感』を募らせそうだから。
これ以上『罪悪感』はいらないし。
「かまってやれない」「愛せない」「怒ってしまう」「比べてしまう」
『罪悪感』を手放せば子育てはうまくいく!↓
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