自分掘り

自分の価値を決めるのは誰か?権威か?お金か…?【ただの日記】

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。

夫が3連休前に1日お休みを取って4連休で家にずっといる。見事なまでにずーーーーっとゲームをやっていて、食卓とゲーム前の2点移動しかしていない。

で、昨日私は出かける用事があって、長男のサッカーの送り迎えを頼んだ。もちろん生返事。長男が不安になり私に何度も訊く「迎えが来なかったらどうすればいいの?」とそして、それを聞くたびに同じ答えを繰り返す私「がんばって歩いて帰ってこい」(歩けないこともない距離)

因みに「迎えに来ない」は過去に実際にあったことなので、長男の不安はあたりまえではある。チームから私に連絡があり、私から夫に連絡するも連絡がつかず…。長男不安だっただろうなぁと。

昨日は滞りなく迎えに行ったらしい(笑)

さて、昨日私が不在だったのは、ミニ心理学講座の講師をしていたから。テーマは『エゴ』でした。

内容はともかく、自分自身の『エゴの正体』を掘っていて古傷がいたんだのだけれど、ふと思った。

私は一体だれに認められれば、この痛みから逃れられるんだろう?と。

お金が沢山入るとか、誰か権威に言葉に表した形で認められれば逃れられるのか?とか。

要は『自分の価値は誰が決めるのか?』ということ。

まぁ、答えはもちろん「自分自身」ってなっちゃうんだけど、それができないから困っているんだよね。

折しも今流れている曲はBUMP OF CHICKENの♪ハルジオン♪

最近流行りのYOASOBIの♪ハルジオン♪じゃないよ。

因みにこの中のとあるシーンをスクリーンショットしてスマホの待ち受け画面にしております。升様かっこよすぎる…!

「自分の価値」って心の中で、生きたり死んだりしているよね。でもまぁ死んだと思っても結局死んでないの。それが滅亡することは絶対ないんだよね。死んだように忘れ去っている、もしくは「忘れたがっている」のも自分なんだよね~。

ずっとやりたいけどできない理由を探している件

だいぶ若い頃から「物書き」になりたい、なってみたいと思っていた。

『物書き』なので、それが小説であっても、エッセイであっても、評論でも、はたまた翻訳でも、校正でもなんでもいいんだけれど、なにか文字を書くことを生業としていきたいと思っていた。因みに翻訳と校正はお金払って勉強したこともある。

でも、結局できなかった。

自分には才能があるとは思えなかったし、何よりも『自分の価値』をそこに見つけられなかったということがあった。

『才能』も『価値』も見つけられなかったので、できなかった理由を探して、簡単に見つけて「諦めざるを得なかったもっともらしい理由」を大事に温めてここまで来た。

この「諦めざるをえなかったもっともらしい理由」を大事にしていると、たとえ褒められたり、可能性があったとしてもそれは見ない。見えたとしても簡単に打ち砕くもの。

お弟子講座が始まったとき、「悩みに答える」という課題が出た。その悩みに文章で答えるというもの。

課題を提出すると、根本師匠が丁寧に返事を下さる。そこになんと「文章がとてもきれい。すーっと読める。エッセイストか小説家みたい」と書いてあった。

私は有頂天になり、近しい人に報告した。そしたらこう言われた「へぇよかったね~。でも結局さ、お金払っている生徒さんなんだからどうであっても褒めるよね。みんなに言っていんだよ」と。

「そんなこと言うなんてひどい!」ということが言いたいのではなくて、私はこの言葉を聞いて「そりゃそうだよね。まさかこの私が褒められるなんてことはないよね」って思ってしまった。

受取下手。

自分の価値を見ないから、採用する意見は「褒められた」ではなく、もちろん「お世辞である」という方。

ここで「文章が上手」と認めてしまったら、いままで傷つかないために一生懸命守ってきた「できない理由」がなくなってしまう。

これが怖い。

分離を生む考え方

じゃぁ、根本師匠が認めてくれたら『自分の価値』が生まれるのか?ということでもない。
私がなにがしかの言葉を生んで、それによってお金が手に入ったら『自分の価値』が手に入るのか?ということでもない。

そうだよね?

それはあくまでも付加価値であって、本当にワクワクする気分のいい道を選ぶためには、誰がどうこうじゃない。

やりたいかやりたくないかを心に聞いてみる。

言い訳や、事情が出てくると思う。

それもまぁあたりまえだ。

それでも、本当にやりたいこと、心ときめくことがあるということを知っているだけでも儲けもんじゃないか。

「できるかできないか」じゃない。

褒められたことを「そんなことはない」と突っぱねるのは、とても残念なこと。そこから生まれるのは『分離』しかない。

そうやって、自分の目の前に起きている事象は、自分の心の中に起きていることを映し出しているに他ならない。

自分の中に『分離』があるから、目の前に『分離する事象』が見えてくる。

そろそろ『統合』してもいいのではないだろうか?

あなたの『できない理由』はなんでしょう?
年齢?
才能?
今置かれている状態?
いずれにしても、それは外側の世界。

きっともうわかっているはずなんだよね。

「私はどうありたい」のか
「私はどうしたい」のか

一日数分、静かな場所で、何もない状態で、無になってみると、本当の自分の声がきこえてくるらしいよ(←他人事な言い方(笑))

やってみて。

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