今日はクリスマスイブ。去年はすっかりそのことを忘れていて、ローストチキンを買っておらず、色々あった(笑)
結局、丸鶏が手に入り、事なきを得た。
私は子どもたちが生まれてから毎日欠かさず、写真付きの日記を書いているのだけれど、去年の次男のこの日の日記には…
『ローストチキン!』
朝起きたらサンタさんからプレゼント来ていましたよ〜
ゾイドだったので組み立てなきゃいけない。それをわかっている次男くん「今日はお休みじゃないから開けない」という。
堅実。
でも結局開けちゃって遅刻しそうになる。
夜は楽しみにしていたローストチキン。
生の鳥に向かって「おしりかわいいね。食べ物になってくれてありがとね」と言いながらごはんを詰めている。
なんかシュールだな・・・。
焼き上がったローストチキンを切り分けるのに悪戦苦闘。すると次男くんが「トムとジェリーでは簡単に足とか取ってたのにね」と。
ホントだね〜
大満足のクリスマスでした!
で、写真がこれ。
生肉を手で触らないで~(笑)。かわいいおしりだったらしい。
今年はちゃんと買いに行ったけど、このサイズのがなくて小ぶりなのを買った。でもまたクレームが来そうで怖い…。
実は去年のこの前日に事件がありまして…
クリスマスイブということをすっかり忘れていた私(クリスチャンあるまじき)。長男に指摘されて「そうか、でも忘れちゃったからしょうがないね」と言ったら、大ブー―――――イング!!
しょうがねぇな…とケンタッキーに行ったら「予約のみの販売でーす」と言われ、次男は「ちっ!こんな店二度と来ねぇ!!」と暴言を吐き、落胆のどん底に…。
スーパーに言ったら、チキンレッグが売っていたのでそれで妥協してもらうことに…するとチキンレッグの横に、大きな丸鶏が!!
因みに、毎年クリスマスイブには鶏のお腹にガーリックライスを詰めたローストチキンを焼いているんです。それがないということに次男は腹を立てていたんですね。
明日でいいからこれを焼いてくれ!!と。
で、上記の写真につながるわけ。
依存の時代に生きている
次男は今小1。いつまでが依存の時代になるのかはわからないけれど、私の見立てでは、まだまだ依存の時代に生きている。
依存なので「自分では何もできない。周りがなんとかするものだ」と思っている。
それが、だんだん自分でできることが増えていき、自立していく。
依存から自立に向かう時、スムーズにいけばそのまま『相互依存』のゾーンに入るが、人生そうは問屋が卸さない。
依存して、ニーズを前面に出していたのに、それが思い通りにならない…ということが増えていく。そうすると「もういい!自分でやればいいんでしょ?私はそうやってニーズをかなえてもらえない、愛されない子なんでしょ!!」と傷ついたまま自立していく。
そうやって依存の時代を終えると…ひずみが起きる。
だって、傷ついているからね。
ニーズを表に出すと傷つくから、隠すけどそれが重い
ニーズ(欲求)は誰にでもあって、それを隠したり、封印したり、なかったことにしなきゃいけないってことはまるでない。
だって、欲求はあるでしょ。誰にもあるでしょ。あたりまえなのよ。
だから相手こんなことを言う。
「分かって欲しい」
「優しくして欲しい」
「愛して欲しい」
「かまって欲しい」
「もっと家事をやって欲しい」
そうすると、それに答えられる人だったら問題ないけれど、相手も傷ついている場合の方が多いから
「束縛されている」
「自由がない」
「これじゃダメなんだ」
「不満を持たれている」
と思わざるを得ない。
じゃあ言わなければいいんでしょ?と封印して、ニーズを表に出すのはよろしくないと、かつて傷ついた心が叫ぶ。でも我慢できない。そしてどうするか…?
ニーズを後ろに隠して、違う表現に発展させてしまう。
「なんで○○してくれないの?」
という言葉になって出てくる。
こればっかりだと、重いよね。
なんで『重い』のかと言えば、それはこちらばかりの「ニーズ」を最重要視しているから。
「欲求は我慢しなくていい」。でもそれを言葉にすると「重い」…。
じゃぁどうすればいいの?ってことだけれども。
「相手のこともおもんばかること」「相手の気持ちも考えてみること」になる。
与えてみる
なんか、よく言う言葉だけれども「分かって欲しいのならば、まずは相手をわかってあげましょう」ってこと。
結局、相手のことはコントロールできないから、行動を変えられることはできない。相手にだって都合がある。
自分のニーズが常に叶えられるわけじゃない。依存が強いと「相手が全部やってくれる」と思いがち。
自分の機嫌は自分で取ろう。
自分のニーズが叶えられなかったら「そうか、相手にも都合があるよね」と一旦思ってみる。
とりあえず、そんな状況に陥ってしまって、そこを抜け出したいと思うのであれば…
誰かのために何をすること。
誰かを喜ばせることをしてみる。
そうやって、与えることによって抜けられる。
折しも、今日はクリスマスイヴ!
みんながサンタクロースになれる日。
誰かに与えてみてはいかがでしょうか?
私はローストチキンを焼いて、次男の喜ぶ顔を堪能したいと思います。
素直に喜びを表現するっていうのも「与える」ひとつだと私は思う。
子どもは依存のかたまりだけれども、その存在だけで私は色々もらっている。
存在だけでなにかを与えているんだよね。
私たちひとりひとり必ずそういう時代があって、今もなおこの存在だけで誰かに喜びを与えていると私は信じている。
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