朝から草取りをして若干腰が痛い。寄る年波…という言葉が身に染みる。
草取りをしながら、ポジティブとネガティブのことをツラツラと考えていた。なんでもポジティブの方がいいという風潮がこの世の中にはある気がするし、ずっと私はなんでもポジティブに考えて来た。
言ってみれば、自分の中のネガティブな部分を否定してきたというわけだ。そんなことは考えちゃいけない。「ポジティブであるべきだ!!」ってね。
出たな!!べきべきお化けめ!
今は両方あっていいよな~と思えるようになった。
ネガティブは防衛本能だから、あって困るものでもないんだよね。もちろんそればかりだと「傷つくことを恐れて前に進まない」から、ありすぎるのも困るんだけどね。
心の中でどっちを育てるか
雑草っていらないもんだと思うと思うけど、あながち私はそうでもないと思っている。雑草すら生えない土はそれは土と言えるのか?と思うから。
雑草とひとくくりにするけど、すべての草には名前がある。この自然界で存在する理由も意味もある。
『私の庭には、いらない草』を総称して『雑草』と呼んでいる。赤しそなんてバカみたいに生えてくる。だれかにとっては今欲しいものかもしれないけれど、私にとっては雑草なので抜いてしまう。スギナだったそうだ。『スギナ茶』が売られているくらいだからどこかで誰かがわざわざ育てているのだろう。その人にとってはスギナは雑草じゃない。
育てたい植物と雑草は同じ土に種がまかれる。どっちが勝つかの重要なポイントは『日照』である。
先に大きくなってより多く太陽の光をとった方が勝つ。
だから雑草を根こそぎ取らなくてもいいのだ。育てたい植物を丁寧に育てて生い茂らせれば、そのうち雑草は太陽の光があたらなくなり、枯れる。丁寧に根こそぎ抜かなくても別にかまわないってこと。
ネガティブな感情は雑草
人間の心を土に例えるとネガティブな感情は雑草だと思う。あってしかるべきだし、すべて排除することもできない。放っておいたらぐんぐん成長して、育てたいポジティブな感情を覆いつくしてしまう。
だから、ネガティブな感情にばかり注目して、いかになくすか?ばかり考えがち。でもそれって疲れちゃうし、そもそも雑草はなくならないし。
だから、ネガティブな感情が育ってきたら、ちょっと刈る。気づいたら刈る。掘るんじゃなくて刈る。出てきたことを否定しない。「おっとまた出たな」くらいな感じ。
そして、育てたい感情に注目する。そうすれば、育てない感情に太陽の光が当たって、そのうちネガティブな感情は枯れると思う。
そもそも、育てたい植物を大きく育てて、その下にちょこちょこっと雑草があるくらいが、自然だよね。
そうやって心の中を整えていく。そうすると気持ちの良い実がたわわに実ると思うよ。