夫婦関係

義親が脳梗塞。夫の言葉に傷ついて嫌だった。介護の始まり【ただの日記】

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。人間距離(じんかんきょり)を程よく守って、沈めてしまった本当のあなたを見つけるお手伝いをしています。

誰かのツイッターで

「x年前の昼間、親と桜の花見に行ったその夜、親が倒れた。以後親は半身不随になった。桜を見るとあの日のことを思い出す。昼間健康だったとしても、その夜も健康とは限らない」

という主旨の呟きを見た(うろ覚え)。

私も時々思い出す。義父が倒れた日のことを。

前日に40度近い熱を出していた私は、午前中に診察を受けていたその病院に、義父と共に救急車でまた運ばれてきた。

病院から帰宅した私が動けなくなっていた義父を発見して、救急車呼んで、病院でひとり朦朧とした頭で待合室の窓から空を見てた。

うすぼんやりと曇った空をみて

これが小説ならば「この状況に見合わないほどのスコンと晴れた日だった」とか「私の心のようにシトシトと雨が降りしきっていた」とか、それこそさっきのツイッターのように「この桜の花は救急車のサイレンの音と共に私の記憶にきざまれるだろう」みたいに、絵になる天気なんだろうな。なんか何の特徴もない記憶に残ることもない景色だな。

と、それこそうすぼんやりと思っていた。

だけど、あの日の記憶で忘れられないのがこの光景なんだよね。

断片的に覚えている病院の景色の中で、一番はっきりと覚えているシーン。

診てくれた先生が何度も「倒れた時間が分かれば投与できる薬があるんですけど、ほんとにわかりませんか?」訊いてきた。

わからない。帰ったら動けなくなっていたから。夜中だったのか朝方だったのかもわからない。

余りに何度も訊かれると、わからない私のせいで治療ができないんだと言われているような気になってくる。

私が悪いのか。風邪をひいた私が悪いのかな。お義父さんの部屋をのぞかなかった私が悪いのかな。

そんなことをぼやっと考えていた。

連絡を受けて病院に到着した夫に事情を話すと、親戚に電話を始めた。

「嫁がすぐに発見していたら投与できる薬があったんですけど」
「嫁は先週くらいから親父の調子が悪いことわかっていたらしいんですけど」

長い状況説明の中で、この言葉ばかりが大きく響いて聞こえた。

親戚の数だけこの言葉を聞いた。聞かされた。

私のせいなの?

確かにお義父さんの具合は悪かった。

「絶対明日病院行ってくださいね」
「とりあえず、たばこやめましょう」
「そんなに寒いならあったかいシーツ買ってきます」
「また病院いかなかったんですか?なんで?明日は行ってください」

そんな会話が繰り返されていた1週間だった。

もっと強く言えばよかったの?
首根っこ掴んででも連れていけばよかったの?
こんなに大変なことになるなんて予想もしなかった。

全部、あとの祭り。

もうどうにかするしかないじゃない。
なんでそんなに何度もそんなことを沢山の人に言うの?

嫁が悪い
嫁のせいだ

確かにそんな言葉は言っていない。でも私にそう聞こえた。

そして心が麻痺したんだと思う。

夫に対する怒りで感情に蓋をして、
前向きで明るいお嫁さんになった。

「えらいわね」
「がんばってね」

という言葉をエサにして。

義父の葬式で泣いた瞬間

8年の自宅介護の末、義父はある朝突然天に召された。本当に突然。

お葬式の前の『儀式』みたいな時に、身支度を整えるみたいなことがあった。

淡々と進むその儀式の中で、足袋を履かせるというものがあった。

それを遠くから見て「私はあの足に何度靴下を履かせて、そして脱がせたのだろう?」と考えた瞬間に涙があふれた。

なんで、あの瞬間だけだったんだろう?

靴下を脱がせたりはかせたり…毎日毎日繰り返し…。
長かったような、短かったような。
ほっとしたような、もっと生きてて欲しかったような。

あのうすぼんやりとした光景から始まった毎日を象徴するものだったのかも。

毎日毎日…。

今ならわかる

凝り固まった怒りの蓋は、義父が天に召されてから徐々に変化が起きた。

日々の生活が変わったこともあり、見えていなかったものが見えるようになった。

自分は本当は何が欲しかったのか。
何で怒りで蓋をせざるを得なかったのか。

夫はなんであんなことを言ったのか。

お互い「そうせざるを得ない何か」があっただけのこと。
守りたかった心があっただけのこと。

そうやってすれ違いは起きる。
回避することなんてできなかった。
ああするしかなかったんだから。

それを認めるとか認めないとか
許すとか許さないとか
そういうことじゃなくて

今ここに在るということは
あの過去があったからということで
あのことがなかったら
いつまでも気づくことのなかったことで

生きることは
なぜ生きているのか
なぜ生かされているのかを
考え続けて
感じ続ける

そういうことなんだろうなと
漠然と考えたりもする。

あのうすぼんやりとした日に、私の生活も人生も一変した。
ドラマチックでも何でもない日に。
綺麗な記憶も、悲しい記憶も
もしかしたら全部うすぼんやりしたもの
なのかもしれないな。

夫と腹を割って話し合い
あの日の決着をつけてやる!!
なんてことは1㎜も思わない。
なんとなくうすぼんやりさせておいても
それはそれでよし
と今は思っている。

未来はわからないけれど。

*********

怒りの蓋に気づくことも、怒りの蓋をあけることも、一人じゃできなかった。
カウンセラー仲間に本当に助けられた。

麻痺しているから、麻痺していることにすら気がつかなかった。

私が悪い
私は悪くない

私はダメだ
私はダメじゃない

の行ったり来たり。

この負のループを外れるためには、誰かに助けを求めるのがいい。

心のモヤモヤや怒りがあることがなんとなくわかっているけれど…どうしていいかわからないというあなたと

お話がしたいです。

私がそうであったように、話すだけで気づくことがあります。
私はあなたに届けられる言葉があると思います。

お待ちしております。

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