夫が腹の立つことを言ったりやったりする。これって「モラハラだ!」と思うこともしばしば…そんな時は被害者でも加害者でもなく、無害者になること目指そう。
夫にそんなことをされたらそれはもちろん『被害者』でしょう。その認識は間違っていないはず。ただ、そう認識した上で今度は夫に対して『加害』をしてしまうと、その立場は逆転する。夫は「責められた。間違っていると言われた」と思い込み、一気に夫が「オレが被害者だ」と思い込む。そして攻撃が増す…ってこと。
一言で「こうすればいいですよ」と言うことはできないけれど、被害者になってしまったらまず「私はほんとは何が欲しかったのか?」「私が望む関係ってどのようなものなのか?」 を考えてみるのはどうだろう?
夫にひどいことをされているのであれば、自分の思いを見つめてみて、本当に自分がどうしたいのか?を考えてみると、無害者になれる。ひとりでそれをするのが難しいようなら、信頼できる人にその思いを伝えてみて。もちろん私も聴きますよ~。
誰が悪いのか?正義はどこに?
数年前まで、私は被害者だ!!と息巻いていた。ところが…本当にそうだったのか?と気づく出来事があり、被害者も加害者も一緒だと腑に落ちた。
夫はお金を入れない人だった。自分の給料は自分のお小遣い。なんど言っても、キレるか「オレは明日死ぬ」と言うかのどっちかだった。
夫婦たるもの、夫は熱心に働きお金を稼ぐ…という観念を持っていたし、今あなたも「そうだよね」と思ったに違いない。思いたい。
だから私は夫を責めた。有言でも無言でも。
ここで、お金をもらえない被害者だったはずなのに、夫を攻撃し始めた時点で『加害者』に変わった。「あいつが悪いんだ」と。「私が正しくあいつが間違っているんだと」
私からみて、お金をもらえないのは「かわいそうな私」と「悪いあいつ」で、夫から見れば妻から責められている「かわいそうなオレ」と「悪い妻」である。
もはや『正義』なんてどこにもない。
被害者2人は依存の関係になっていく
絶対的に『私は被害者』と思っている人は、たぶん過去になにか「そう思っておけば利益があった」という経験があるのではないかな?と推測する。
誰だって『被害者』になんてなりたくないのに、気づけば『被害者』ということは往々にしてある。被害者気質の人は、被害者であることのメリットというものが潜在意識の中に埋め込まれている。(っていうかたぶん全員あると思う)
幼少期にわざとであったとしても、アクシデントだったとしても、「かわいそうな私」になった途端に、周りが気にしてくれ、やさしくしてくれ、一気に注目を浴びたということはないだろうか?(っていうかみんなあるよね)
これが『被害者』になって自分に利益があったという成功体験だ。だから『被害者』になることによって脳が「こうなれば何かをもらえる」というデータをインストールしてしまったといことだ。(データ量が多いか少ないかの違いだけ。みんなある)
実例を挙げれば、親が子どもに「○○を買ってあげるね」と言ったのにもかかわらず、お店に行ったらその商品がなかった。親は「また今度にしましょうね」と言う。しかし子どもは納得せず猛烈にダダをこねる。欲しかったものを買ってもらえない「かわいそうな私」だから。すると親は「じゃあ他のものを買ってあげます。○○はまた今度にしましょう」と妥協案を出す。「かわいそうな私」を演じたことにより、○○はおろか、他のものも手に入る。
この時点で、被害者だった私は「奪う人」に変身して加害者となり、親は被害者になる。
尚且つ、親は「○○だけだけでなく、他の物も買ってあげたんだからそれなりに言うこともきいてもらいます」という風に、また何かを子どもから奪おうとしてしまう。
お互い「被害者』になろうとし、これが依存の関係に紐づいていく。
なるのは無害者。そして自分を大切に
被害者になれば何かかが手に入るという情報をインストールされてしまった脳は、だんだんバグを起こしていく。だからモラハラ的な夫からなにかを奪おうとしてしまう。
脳のバグだから。
『被害者』として相手を常に『加害者』としていたら、その人は愛を差し出してくれるだろうか?『被害者』となったら、『加害者』である相手に愛を差し出せるだろうか?
だって、だって、だって!!と思うのは…脳のバグだから。情報処理がちょっと間違ってしまっただけ。
この負のループにはまってしまったら、一刻も早く『被害者ポジション』から抜ける方法を見出す必要がある。
私も『被害者ポジション』がとても快適でなかなか抜け出せなかったけれど、それに気づいてから、一つ一つ丁寧に情報を書き換えて来た。
『お金ブロック』=お金は苦労して辛いことをしなければ手に入らないという思い込み。お金の切れ目が縁の切れ目というお金崇拝。
『どうせ私は愛されない』=見た目のコンプレックス。自分自身の女性否定。
等々…まだ道半ばであるが、進んではいる。
結局は『自分を大切にする」するってこと。被害者でもなく加害者でもなく、なるのは『無害者』。
アドラーの三角錐『かわいそうな私』『悪いあの人』『これからどうしたいか?』
さて、どの話をしましょうかね。
「自分を大切にするってなんだかわからない」とか「自分になんのブロックがあるのかわからない」と感じるのなら、第三者に訊いてみるのもよし。信頼できる人が周りにいなかったら、カウンセラーに訊いてみて。例えば私とか。