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こっちとあっちでは思っていることがまるで違うことが勘違いを生む

良かれと思ったことが、実は相手にとってはそうでもなかった。むしろ悪かった…ということってあると思う。それを気にしだしたらキリがないのだが、そこを解消するには…

なぜそれをしようと思ったのか?その行動は本当に愛からか?相手を大切に思ってだったのか?それとも犠牲だったのか?他人軸だったのか?という点から見ていくと、心にストンと落ち着く場所を見つけられるのではないかなと思う。

結局は相手の思っていることはわからないし、聞いたとしてももしかしたら嘘つく…(という言い方は強いすぎるけど)本心を言っていないかもしれない。そころ深堀りしても体力と精神を消耗するだけなので、そこは相手の思いを汲むのではなく、あくまでも「自分はどうしたいのか?」「なぜそれをするのか?」に注目していくといいと思う。

上手くいかない夫婦の会話や親子の会話は、もしかしたらこんな勘違いの積み重ねだったかもしれない。私は愛される価値があるし、今までも愛されていたと能天気に見える考え方をすると、ちょっと世界の見え方が変わってくると思う。

姉と母の言い分が違いすぎて笑った

そもそもなんでこんなことを言い始めたかと言うと、母と姉がステーキランチをめぐるお互いの話が真っ向から反していてとても面白かったから。

こんな話…

入院していた母が退院した日に、母お気に入りのレストランでランチをしたらしい。その様子は逐一ラインで姉から報告が入った。(我が家はとても仲のいい家族)

「サーロインステーキのランチに母はご満悦だったけれど、やはり量が多かったみたい。残しちゃって私が半分くらい食べたんだよ。まだ本調子じゃないね」

みたいな内容だった。送られてきた母の写真はとても嬉しそうだった。

で、昨日。母の検査に今度は私が付き添った。そしてお決まりのレストランに行った。すると母が言うのだ。

「前に(姉の名)ちゃんと行った時は、(姉の名)ちゃんが横からぱーーーっと食べちゃって、半分も食べちゃったのよ」

と。

・・・・・?あれ?量が多くて食べきれなかったんじゃないの?と思ったがなんとなく面白い展開になりそうだったので、そうなんだ。と返事をしておいた。

母とステーキの写真を姉妹ラインに送ったら姉から返事が来た。

「またステーキ食べているの!!前に行った時は量が多くて残しちゃったんだよね」

おやおやおや…話がすれ違っています(笑)

母:もっと食べたかったけど、横からとられた。
姉:母が食べきれなかったら代わりに食べてあげた。

おもしれぇな~と思っていたら、母が何かゴソゴソやっている。すると3切れほどのステーキが私の皿に乗せられた。

・・・・・これか・・・?これは横からとったことにはならないよな・・・?

「私はお腹がいっぱいなのでこれは食べられません。母上食べてください」

と言ったところ。

「私もいっぱいなのよ。食べてちょうだい」

という。

ほうほう・・・こう言うことですよ。母らしい発言と行動だ。

さてここで問題です。

この後取る私の行動で正しいものはなんでしょう?

1.いらないと突っぱねる
2.ありがたく全部食べる
3.これを食べたら「横からとられた」というんじゃないの?と問い詰める

さて、どれでしょう?

これを自分軸で選択するとしたらどうか?ということで、正しい選択という答えはない。

母に「横からとられたと思われたくない」とちょっと思ったりもたが、実際腹がいっぱい過ぎて3切れも食べられなかったけど、ちょっと味見もしたい気もあり、1切れをいただき、そっと母の皿に2切れは戻した。

相手も気持ちを慮るのもとても大切だけど、自分がどうしたいのかを選択した。

結局はどうしたって相手の気持ちも結果もどうしようもない

今回私が上げた3選択のうちどれを選んだからと言ってさほどの変わりはなかったんじゃないかなとも思う。

母はどういうつもりでステーキを私に食べて欲しかったのかは分からないけれど、きっとただ「美味しいから食べて欲しかった」ということだと思う。思いたい。

その裏にはまぁいろんな感情があるのは分かる。犠牲愛的なところもあるのだろう。自分一人で食べるのは罪悪感があったのかもしれない。これで今回のことは帳消しねという取引なのかもしれない。それはわからない。それは母の長い人生の中で培ってきた『何か』があるんだと思う。それをすべて私が慮って、背負う必要もないってこと。

なにかデザート食べたら?と言われたので「食べたいけど、腹がいっぱい過ぎて入らない」といったら「食べなさい。大丈夫よ」という。少し押し問答をしていたら(母は結構しつこい)、母がこう言った。

「あなたに食べてほしいのよ」と。自分の思いを言ってきた。

ほぅ、そうか。病院に付き添ったということのお礼がしたいのだろう…と推測した。「お礼のごり押しじゃないのか?」とチラッと頭をよぎったが、そこは…

そうだね、私はクリームあんみつをごちそうしてもらえるくらい愛されていて、そして価値がある。と思うことにした。

そしてクリームあんみつはとても美味しかった。とても。

いらないと言っているのに「無理やりあちらの思いを押しつけられた」と思うことも可能だけれど、そちらを選ばないのも幸せになるひとつだと、私は思う。

*********

自分軸で選択していったとしても、それはなんの問題もない。もしかしたらその選択で相手が不機嫌になったり、あるいは文句を言ってくることもあるかもしれない。

でも、その相手の感情は相手のもので、こちらではどうすることもできない。

もし、それをどうにかしたいと思うのであれば、それはそれで愛情深いのだと思うけれど。その愛を外だけじゃなくて、自分にも向けてほしいなと思う今日この頃。

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